フランスの数学者で哲学者でもあったパスカルは

「人間は考える葦である」

という言葉を残しました。

Wikipediaには、こう書かれています。

「人間は自然の中では

矮小な生き物にすぎないが

考えることによって宇宙を超える

~中略~

それは

人間に無限の可能性を認めると同時に

一方では

無限の中の消えゆく小粒子である

人間の有限性をも受け入れている。」

私は

教育というものの在り方に

このパスカルの哲学が必要なのではないかと思います。

近年の教育は

テキストを覚え

問題に対して解答するという手法が

多くなっているように思います。

もちろん、こういった教育は

学びの基礎としては

必要なことのように思います。

しかし

何が正解で、何が間違いかという

単純な捉え方のみが身に付いてしまった時に

人は、深く考えなくなるという癖が

付いてしまうようにも思います。

私が、ここで言いたい教育とは

学校教育

親から子への教育

会社などでの教育

社会の中での教育などの

全てを指しているつもりです。

私は

パスカルの言葉は

考えることでの

人間の超越と

現実を見る姿勢が

表されているようにも思います。

私は

カウンセラー、キャリアコンサルタントとして

相談を受ける時に

答えが欲しいと思われている方が

いくらかいらっしゃるようにも思います。

もちろん

とても考えたうえで

どのようにしたらいいのか分からず

悩み続け

相談に来られたわけですので

悩みを解決したいのは、当然のことです。

私は、私が思う答えは出しません。

私の姿勢は

会話をして、その人に寄り添い

ヒントとなるものを与えていきます。

別の言い方をするとすれば

「一緒に考える」

ということです。

相談に来られた方と、会話することで

その人の心にゆとりが出来て

その人の視野が広がり

ヒントを与え

その人自身が考えることが出来る状態になって

今の自分を超越することが出来るからです。

それが、自立であり、成長だと思います。

そもそも、悩みの答えは、その人の心の中にしかありません。

ですので、私は、その人が考えられる状態を作るだけだと思っています。

考えることが、いかに大切か。

あの人が言ったから、そうだとか

みんながそうだから、私もそうだとか

 

それは

自分の考えが同意しているという見方も出来ますが

無意識のうちに

考えることを放棄していると言えるようにも、私は思います。

コロナ禍になって、なぜ、トイレットペーパーがなくなったのでしょうか。

人の心理は、とても複雑であり、単純でもあります。

多くの情報が絡み合い

不安が増大して

思考が停止したようにも

私は思えてしまいます。

「考えること。」

それは

今の社会の中で

多くの人に考えてもらいたいテーマだと思っています。

これは

コロナ禍が、私たちにもたらした

良い面と言えるような気がしています。