JR長岡京駅を降りて、ガラシャ通りを南へ少し歩くと勝竜寺城のお堀が見えてきます。
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勝竜寺城とは、1339年細川頼春が京都へ進出してくる南朝方に対抗するため北朝方(足利尊氏)の前線基地として築いたといわれ、京都盆地の南西部を防衛する要所にありました。
応仁・文明の乱では西岡地方における西軍(畠山義就)の拠点となり、戦国時代になると、1568年に織田信長が上洛し西岡一帯を攻略し、細川藤孝に城が与えられ、堅固な城に改修しました。1582年の山崎の合戦では明智光秀が本拠としたが、落城しました。
ところで、この城は1578年に光秀の娘玉(のちのガラシャ)が16才で細川忠興のもとに輿入れした城として全国的に知られています。

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細川ガラシャ
(1563~1600)
明智光秀の三女で、本名を「玉」といい、1578年8月に16歳で細川藤孝の長男忠興のもとに嫁ぎ、丹後宮津に移るまで3年間を勝竜寺城で過ごしました。
1582年父光秀が主君信長を倒した「本能寺の変」で、丹後の三戸野に幽閉されました。2年後、豊臣秀吉の計らいで忠興との復縁を許されました。
ところが、苦難の生活を強いられた彼女は、心の平安をキリスト教に求め、洗礼を受けガラシャと呼ばれるようになりました。やがて、関ヶ原の戦いで石田三成の人質になるのを拒み、自害(38歳)という悲劇的な最後を遂げました。
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細川忠興と玉の像
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ガラシャ
おもかげの水
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