白鳥たちが列をなして、北の方角へと飛んで行った。

 

北帰行…?

 

今年は春の訪れが早い

 

もう、シベリアへと帰って行くのかな?

 

 

今年も庭に、フクジュソウが咲いた。
 

 

フクジュソウの花言葉は、「幸福を招く」「永久の幸福」

 

「思い出」というのもある。

 

 

フクジュソウは、亡き父の思い出の花

 

過去にも何度か、そんなブログを書いた。

 

 

毎年この時季

 

北国に春を告げるこの花が咲くと

 

父のことを思い出していた。

 

 

 

フクジュソウにはまた、こんな花言葉もある。

 

「悲しき思い出」

 

 

この21年間

 

寒さ厳しき冬を見送り

 

穏やかな春の兆しを感じる場面には

 

いつも必ず、隣にトシがいた。

 

「ほら!トシちゃん、お花が咲いたねぇ」

 

「あっ!白鳥が飛んで行ったよ!」

 

「今日は風が温かくて、春が来るんだね~」

 

そんなことを、話しかけていた。

 

話言葉を持たないトシは

 

私の話しかけに、言葉で返答することはないけれど

 

一緒に花を指さしてみたり

 

頬を撫でる優しい風に、機嫌よく微笑んでみたり…

 

親子で共に、春の息吹きを感じていた。

 

 

 

でも、いまは

 

春が来たとて

 

何が嬉しかろう?

 

何が楽しかろう…?

 

 

芽吹きの季節を迎えても

 

心躍ることなど、なにひとつない。

 

 

 

辺り一面を、真っ白な雪が被い

 

川や湖は、分厚く冷たい氷で閉ざされた景色のほうが

 

私には、居心地がよかった。

 

 

真っ青な空に浮かぶ、真っ白な雲を見るよりも

 

どんよりとした灰色の雪空を

 

真っ白な白鳥が飛んで行く姿を見るほうが

 

私には、楽だった。

 

 

 

私の心には

 

もう二度と春が来ることはない。

 

 

 

空高く、ヒバリがさえずり

 

芽吹いた草木が

 

萌木色に鮮やかに彩っていく景色が

 

私には苦しい。

 

 

 

だけど

 

春になって、心軽やかになる人々の前では

 

私はきっと

 

特別の仮面をかぶって、笑顔で過ごすのだろう。

 

 

 

 

いくら月日が経とうとも

 

私の時計は、あの日止まってしまったまま

 

一秒たりとも時を刻むことが出来ずにいる。

 

立ち止まったままの私と

 

どんどんと移り変わっていくまわりの景色

 

 

 

あの日の傷は

 

治るわけでも、傷痕になって残るわけでもなく

 

奥へ奥へと深く深く広がっていって

 

毎日がとても苦しい。

 

 

 

この傷は、いつになれば治るのか?

 

どうすれば、楽になるのか?

 

どうして?

 

どうして?

 

と、誰かに訊ねたいことは、たくさんあるけれど

 

誰もそれに答えることはできない。