今日はこの曲
Conton Candy 「ファジーネーブル」
放課後の校舎は、昼間とは別の顔をしていた。ざわめきが引いて、廊下に残るのは部活の掛け声と、どこかで扉が閉まる音だけ。窓から差し込む夕陽が、床に長い影を落とし、時間がゆっくりと沈んでいくのが分かる。
詩織に「生徒会室に来て」と言われたとき、孝也は一瞬だけ足を止めた。
理由は分からない。けれど胸の奥に、薄く冷たいものが広がる感覚があった。
心当たりがない...わけでもない。
進路の話ではないだろう。詩織は、そういうことで人を呼び出すタイプじゃない。誰の選択にも踏み込まず、自分の道は自分で決める。それを他人にも強要しない、静かな強さを持っている。
だからこそ、余計に分からなかった。
(自分の要件ではないな)
生徒会室の扉の前で、孝也は一度深く息を吸う。ノックをして、返事を待たずに扉を開けた。室内は相変わらず整然としていた。机の上に揃えられた書類、ホワイトボードに書かれた予定。夕方の光が斜めに差し込み、白い壁を淡く染めている。
詩織は椅子に座ったまま顔を上げた。
表情は、いつもと変わらない。
感情の読めない、落ち着いた目。
孝也が中に入ると、詩織は立ち上がり、さりげなく入口の方へ視線を向ける。廊下に人影がないことを確かめてから、静かに扉を閉めた。
その動作だけで、孝也は悟った。これは、軽い用件じゃない。
「座って」
促されるまま椅子に腰を下ろす。椅子の脚が床を擦る音が、やけに大きく響いた。
一拍の沈黙。
詩織は机の端に腰掛け、腕を組むでもなく、ただ指先を重ねた。
「たかくん、確認だけど……」
まっすぐな視線が向けられる。
「彼女、できた?」
言い方は柔らかかった。責める響きはどこにもない。
だからこそ、逃げ道がなかった。
孝也の喉が、小さく鳴る。
「……なぜ、それを?」
問い返した声が、思った以上に乾いているのに気づく。
詩織は一瞬だけ目を伏せ、すぐに視線を戻した。
「最近、様子が違うから。視線も、言葉も、ほんの少し距離がある。決定的な理由じゃないけど……分かるよ」
淡々とした声。感情を混ぜない、事実の列挙。
孝也は、否定しなかった。いや否定できなかった。詩織は小さく息を吐き、目を細める。
「そうなのね」
その一言に、驚きも落胆もなかった。ただ、腑に落ちたという響きだけが残る。
「私は身を引いたから、何か言うつもりはないよ」
その言葉に、孝也の胸がわずかに痛んだ。詩織が「身を引いた」と口にするときの、その静かな距離感。
「でも……」
詩織は少しだけ間を置いた。
「朋美には、言えてないよね」
その名前が出た瞬間、孝也の肩がわずかに強張る。
「それが気になって聞いたの……どうするつもり?」
問い詰めるでもなく、答えを誘導するでもない。ただ現実を差し出す問いだった。
孝也は視線を落とし、机の木目を見つめる。
「……俺も、悩んでて」
声が、思ったより低く出た。言い訳も、整理された答えもない。あるのは、迷いと後ろめたさだけ。
詩織は黙って聞いている。遮らず、急かさず。その沈黙が、かえって重かった。
「隠していたら、朋美は傷つくと思う」
詩織の声は、静かだった。
「知っても、きっと傷つく。でも……正直に言ったほうがいいと思うよ」
正論だった。あまりにも。孝也は、苦笑いにもならない表情で息を吐く。
「分かってる……分かってるんだ」
それでも、怖い。その一言が、喉の奥で詰まる。詩織は、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「たかくんは、優しいから、だから余計に、慎重になるんだと思う」
責めるでも、庇うでもない言葉。
「でもね」
詩織は視線を外し、窓の外を見る。夕焼けが、校舎の影を濃くしていた。
「優しさは、選ばないと、誰かを傷つけるよ」
その言葉が、孝也の胸に深く沈む。
「……考えてみて。逃げないでね。わたしでよければ、いつでも相談に乗るから」
それだけ言って、詩織は席を立った。生徒会室に残されたのは、夕暮れの光と、答えの出ない問いだけ。孝也は椅子に座ったまま、しばらく動けなかった。
朋美が好意を寄せている以上、いつかは言わなければならない。分かっている。けれど、その言葉を口にした瞬間、何かが壊れる気がしていた。
すれ違いは、もう後戻りできないところまで来ている。そのことを、孝也ははっきりと自覚していた。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません
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ブログ小説「再会その日まで」
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