Inside the Battle with Temptation <煩悩との戦い>

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ブログ小説 「再開その日まで」
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第一章「君のいない未来へ」もよんでね 

世の中には、二通りの極端な生き方があります。

年収800万円を稼ぎ出し、社会的信用も厚い大企業の中堅サラリーマン。
一方で、昼はコンビニでレジを打ち、夜はスタジオで腕を磨き、武道館を夢見るギタリスト。

世間一般の物差しで測れば、答えは明白でしょう。「安定した収入があるほうが幸せに決まっている」と。

しかし、現場の実感は違います。

仕事に追われ、休日は泥のように眠るだけ。会社以外の人間関係は希薄になり、鏡に映る自分は、組織という巨大な歯車の一部でしかない。
そんな状態を、果たして「幸せ」と呼べるのでしょうか。

Tataは思います。これは「どちらが正解か」という話ではなく、「自分の人生の主権を、どこに置くか」という切実な問いなのだと。




自由を削る「安定」の代償

かつての労働環境を思い返すと、高年収の裏側には必ずと言っていいほど「時間の搾取」が存在していました。

土曜日に出張から戻り、日曜日の夜には次の現場へ向かう準備をする。
通帳の数字は増えても、それを使う体力も、分かち合う友人も、新しい景色を見る余裕も奪われていく。

「責任ある立場なんだから当たり前だ」
「給料をもらっているんだから我慢しろ」

そう自分に言い聞かせ、24時間動く「高機能なパーツ」として振る舞い続けた末路はどうなるか。
心身が悲鳴を上げ、ある日突然、糸が切れる。
組織は代わりのパーツを補充するだけですが、失われた個人の時間は二度と戻りません。

安定とは、時に「変化しないことへの対価として、魂を切り売りする契約」になりかねないのです。




狂気の沙汰ほど面白い:リスクと納得感

一方で、夢追い人の生活はどうでしょうか。
経済的には不安定極まりなく、世間からは「いい年して」と冷ややかな視線を浴びることもあるでしょう。

しかし、彼らには圧倒的な「今」があります。
自分の指先から放たれる一音に全神経を集中させ、まだ見ぬ大舞台を信じて疑わない。その瞬間の熱量は、空調の効いたオフィスで漫然と過ごす10時間よりも、はるかに純度が高いはずです。

もちろん、夢が叶わなかった時のリスクは甚大です。
それでも、「自分の意志で選んだ苦労」には納得感があります。

誰かに強制された残業で疲弊するのと、自分の表現を突き詰めるために寝食を忘れるのとでは、疲労の質が根本的に異なるのです。



第三の選択:戦略的ポートフォリオ

ここで一つ、Tataが提案したい「究極の形」があります。
それは、「鉄壁の守り」と「無限の攻め」を組み合わせたハイブリッドな生き方です。

たとえば、上場企業でバリバリ働く女性と手を取り合い、一方が家庭の基盤(経済的安定)を支え、もう一方が狂気的な夢(自己実現)を追う。

これは決して「楽をするためのヒモ」ではありません。
むしろ、パートナーが組織で戦って得た「資本」を、自分の「才能」というレバレッジにかけて爆発させる、きわめて戦略的な共同プロジェクトです。

外で戦う妻を家庭で全力でサポートし、余った時間のすべてを表現に注ぎ込む。
お互いの欠落を埋め合い、一人の人生では到達できない景色を二人で見に行く。
そんな「役割の最適化」こそ、現代における一つの幸福の最適解ではないかと思うのです。



どちらが幸せか

結局のところ、不幸の根源は「隣の芝生」を眺める中途半端な視線にあります。

サラリーマンをしながら「あいつは自由でいいな」と腐り、夢を追いながら「あいつは金があっていいな」と嘆く。
この視線の分散こそが、今の自分を否定する呪いとなります。

「安定」を選ぶなら、その対価として組織に尽くす自分を誇ればいい。
「狂気」を選ぶなら、その対価として不安定を笑い飛ばせばいい。

大事なのは、「どちらの地獄なら、笑って耐えられるか」という覚悟です。
それと同時に、自分の人生を何かに熱狂させる権利だけは、誰にも譲りたくないのです。

あなたは、どちらの道で「納得感」を得たいですか?

ちなみにTataの人生は働き者の妻ちゃんのおかげで狂気の道を突き進んでいます。

 

そして他人はこの状況を「ヒモ」と言います。

狂気の沙汰は今は書けませんが、ゆくゆくはブログでお披露目できる日を夢見ています。