・妄念が場を汚していくのです

心も思考も、いつも何かを思っています。

その思いは想念や思念と言われますが
それ自体には本来
善悪と言うものはありません。

だけど、それが「妄念」だったら

これは話が違ってきます。


妄念とは仏教用語ですが

迷いの心、

誤った思いから生じる執念のこと。


妄と言う字は、

みだり・でたらめ
道理に合わないこと
嘘・偽り、自分勝手であること

などの意味があります。



神社などのパワースポットで

「呼ばれないと行けない」と

噂される場所がありますよね。


確かに、神聖な場所であれば
本当にそうだと思います。


約束をしていた前日に
連れて行ってくれる人が病気になったり、

目的地の近くで事故や土砂災害で
通行止めになってたり。

こういう状況なら、

呼ばれてない、タイミングじゃないと
言っても納得できますよね。


逆に本当に呼ばれた時は、

行く気がなかったのに
自然にいく流れになったり

旅費などの必要経費が
その数日前に手に入ったり
(急な臨時収入があった)

しっかりとした啓示があったり。

そこへ向かう流れが出来てしまう。


それは、自分の意志とは関係なく
流れるようなタイミングで起こります。


それをね、

『呼ばれた』っていうの。



だけど今、妄念で
「呼ばれた」と思ってる人が多い。


「呼ばれるくらい私は凄い」と思いたい気持ちや

「呼ばれたから行ってきた」と自慢したい心は

自らが創り出した妄念。


そこに行く為に○○ツアーを企画したり
同行のお誘いを受けただけで

呼ばれたって言うの・・勘違いしてない?


素直に、

行きたいから企画した

誘って貰ってついて行った

って言えば、それは純粋な想念。


それを妄念に変えてしまうのは
心にブロックがあるということ。

自分の中にある目立ちたい心や
注目されたい欲が生み出したもの。

そんなもの手放して
純粋な思いを発して行けば

本当に呼ばれてそこに行けるようになるの。



妄念を持ちながらパワースポットに行けば

その妄念が別の妄念を呼び

どんどん場は荒れて行くの。

それが積もれば大きなエネルギーとなり

ネガティブなエネルギーは

土地や地球を汚していく。


人の感情から生まれる念と言うエネルギーは

その出し方一つで

純粋にもなるし汚れもする。


汚れるって『氣枯れる』ってこと。


素直な心で、純粋な気持ちを表現するって
とっても大切なこと。

自分の思いがどうなのか、
どう表現しているのか、

気づいてみてくださいね。



ご覧いただきありがとうございます。

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・闇ってなに?光ってなに?

光と闇。

光はいつもポジティブに捉えられ
闇はネガティブに捉えられる。

人の心には最初から、
そのどちらも存在する。

物を立体的に観た時、描こうとした時
必ず影(闇)が必要になる。
影は物事に奥行と幅を持たせる。

だからわたし達の心にも闇があり
それが奥行と幅を持たせている。

光と闇、そのどちらの割りあいが多いかは
心の成長過程で変化する。

自らの体験と、植えこまれた観念が
自分という世界を
光か闇で創り出していく。

確かに光は暖かく、全てを照らす。
それは本当にポジティブか?

光を追い求め過ぎるあまり

光に執着し闇を嫌えば、

その心は闇を生み出し

闇に沈んでいく。


闇は暗く、全てを隠す。
それが本当にネガティブか?

暗闇があるから、

光を探す心が芽生え、

真実を探す道を開く。


結局は、どちらも同じもの。

自分の心を占める割合が違うだけ。


よく光る電球は、その下に出来た影さえも
消してしまうほどに照らすけど
影が消えているのではなく
光に包み込まれているだけ。

消えかかった電球は、
その存在すら小さな光で確認するしかないほど
闇に包みこまれてるだけ。
たとえそれが消えてしまっても
光る場所はちゃんとある。

光も闇も、使い方次第。

自分の前提条件が、光であれば
光の情報を読み取るし

闇が前提なら、闇の情報から
回避することを学ぶだろう。

どちらを選択するのも自分次第。


ただ、光と闇、
それを繋ぐものは『愛』


愛は光と闇の架け橋になる。


その架け橋を思い出した時、
わたしたちは
そのどちらも使いこなせるようになるのだよ。


だから光と闇を

戦わせてはいけない。


戦わせれば戦わせるほど、
光と思う闇は拡大していく。


戦わず、愛で繋げれば

そのどちらもが

大きな力となって

自分自身を育んでいくのだから。




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・色々と考えてたら突然降りてきたメッセージ

中庸と二極性の思考のことを
色々と考えてました。


平和な世界を望めば
争いのある世界が必要になる

地震のない世界を望めば
地震は起こる(特に人工地震)

原発の収束を願えば
別の原発問題が起こる


二極の世界だと、どちらかを望めば
もう片方が必要になり
それが前提条件で「ある」から
望んでない方が現実化する。

じゃぁ、何を望むのが中庸なの?

って思いません?
答えが見つからないでいると
突然メッセージが降りてきました。
必要な人がいるかもしれないので
シェアしておきますね。
()内はわたしが質問したことばです。



二極の片方を求める限り

真の平安は望めない

そのシステムがある限り

物事は起こり現実化していく


(どうやって変えるの?)

そこから抜け出すこと

変わろうとするときの変化は大きい

個なら痛みをともなうように

それが大きくなれば

問題も大きく見える

そのシステムから抜け出せ


(どうすればいい?)

和解すること・・解きほぐせ

(何と和解する?)

自分自身の内にある二極と

解き放つことは

次の次元への移行

それは過去の次元の扉を

封印することでもある
(そのパラレルからの卒業という意味)




メッセージをくれたのは大天使アリエル。
アリエルは地球を癒し、
自然環境を保護する役目を持つそうです。
ここ数日、地球にヒーリングしてたので
数日前から存在は感じてたのだけど
今日ハッキリとメッセージをくれました。

内にある二極の和解・・・
男性性と女性性にしてもそうですが
なかなか難しいこと。

やっぱり先ずは「我」を取ることなのか・・・?

我があるうちは、二極になってしまうから。。


これだけが全ての正解ではないだろうけど
誰かの何かの鍵になればと思います。



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