こんにちは。
迦楼羅です。
以前、可哀想という同情心について記事にしました。
今日はそれによく似たお話なんですが、
相手への思い方が、実は人を見下していることになるというお話です。
目の前にいる人だけでなく、「こういう人」って可哀想とカテゴライズする人たちは、実は可哀想な人ではありませんよと以前書きましたが、
じゃぁ、「可哀想」と位置付けたあなたは何者なのでしょう。
同情心や憐れみの気持ちで「可哀想」と感じているのでしょうが、
何をモノサシにしてそう思うのか。
容姿がブスだから?
頭悪いから?
病気だから?
貧乏だから?
心が貧しく荒んでるから?
虐待された子供だから?
パワハラに遭ったから?
何か基準があるから可哀想と思うのですが、
その基準は何を基にしているのでしょうか。
日本語には「あわれむ」という言葉があります。
誰かを憐れに思うとか、憐れな人とか言いますが
この一見同情してるように感じる言葉は
実は人を見下した言葉なのです。
憐れむというのは、
例えば、困っている人を惜しげもなく助けている人を見て
「あの人は憐れみ深い人だ」
と表すように、
困ってる人を指す言葉ではないのです。
自分が誰かのことを「憐れだな」とか「可哀想」とか感じるというのは、
その感情を掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って
とことんまで掘り下げていくと
自分と他者の比較があって、
自分が優位に居たいから言葉なのが解ります。
つまり、可哀想・憐れだなと思うことで
自分はそうじゃないから(優位にたてた)と思ってる。
他者との比較で得る安心感。
裏を返せば、自分は無価値だと思っているということ。
とっても失礼なことだと思いませんか?
こういう言葉はヒーラーやセラピストに多いなと感じたので、
書いてみました。
みんな早く自分の価値に気づいていきましょうね。
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