真実の結晶 -80ページ目

真実の結晶

真実の体験をお伝えします!気づいて下さい!
あなたはもともとパーフェクトだと言うことを♪

先日「本当の自分とはどんな存在ですか?」と言う質問が来ました。ちょうど良いOshoの講話がありましたのでシュアします。最後まで読んでくださいね。

 

 

Osho:あなたの目を覗きこんでも、そこにあなたの姿はまったくない。まるで不在であるかのようだ。あなたは存在しながら不在だ.....。これこそがあらゆる苦悩の核だ。まったく不在のままでも生きてはいられるが、もし不在だったら、あなたの存在はひとつの退屈となる。そして、これが実際の状況だ。

 

だからあなたの目を覗いてみても、そこにあなたの姿はない。あなたはまだ出現していない。あなたはまだいない。状況は整っている.....。可能性は存在している。いつなんどき出現してもおかしくない....。ところが、まだあなたはいない。この不在に気づくことが、瞑想へと向かう旅。超越へと向かう旅の第一歩だ。自分がいないということに気づいたら.....、自分はここに存在しているが、なぜ、どのように存在しているのかわからないし、そもそも内側に誰が存在しているのかもわからない.....。

 

このような気づきがないと、いろいろな苦悩が生まれてくる。自分のすることすべてが、知らず知らずのうちに苦悩をもたらす。重要なのは、何をするかではなく、何かをするときにあなたが、存在しているか?否か?ということだ。何をするにせよ、そのとき自分が全面的に存在していたら、その生はエクスタシーに満たされる.....。その生は至福となる。ところが自分が存在せず、不在のまま何かをしたら、その生は苦悩となる.....。必ずそうなる。

 

地獄とは自己の不在だ。探求者には二種類ある。一方はつねに「何をするか」を探求している。でも、それは間違っている。「すること」は、まったく重要ではない。重要なのは「在ること」だ.....。「何であるか」「どのように在るか」だ。だから、けして「行為」とか、「すること」の見地から考えてはいけない。だとえ何をしようとも、自分が不在だったら。そこには何の意味もない。俗世に暮らそうと、僧院に住もうと、群集に交じろうと、ヒマラヤに独居しようと、何も変わらない。ここにいようと、彼方にいようと、あなたは不在だ。

 

何をしようと....、それが群集の中であっても、無人の荒野であっても....、すべては苦悩をもたらす。自分が存在しなかったら、何をしようとすべては誤りだ。二番目の種類。正しいほうの探求者は、何をするのかは探求しない。彼が探求するのは、いかに在るかだ。彼にとっていちばん大事なのは「いかに在るか」だ。

 

ひとりの男がゴータマ・ブッダのもとへやって来た。男は人々を深くあわれんでいた。それでゴータマ・ブッダに尋ねた。「私は世の人々を助けたいと思います。一体どうしたらいいでしょう?」するとブッダは笑ってこう言ったそうだ。「あなたには何もできない。それはあなたがいないからだ。自分がいないのに、いったい何ができるだろう?だから、世の人々のことは考えなくていい。どうやって世に奉仕しようか、他人を助けようかなどと考えなくていい。」そしてブッダは言った。「まず、最初に存在することだ。あなたが存在すれば、することすべてが、奉仕になり、祈りになり、慈悲になる。自分の存在こそが転回点だ。自分の存在こそが革命だ。」だから、ふたつの道が存在している....。

 

行為の道と瞑想の道だ。このふたつは正反対だ。行為の道は、根本的に行為者としての人間を対象とする。この道は、あなたの行為を変えようとする。この道が変えようとするのは、あなたの性格であり、道徳であり、対人関係であって、けしてあなた自身ではない。瞑想の道は、それと正反対だ。この道は、行為ではなく、直接あなたを対象とする。あなたが何をするかはどうでもいい。あなたが、何で在るかこそが重要だ。それこそが基本であり根幹だ。なぜなら、あらゆる行為はあなたから発するからだ。行為はいくらでも変えられる。正反対の行為に取って替えることもできる。

 

でもそれはあなたを変えない。どのように外側を変えても、内側の革命は起こらない。なぜなら、外側は表面的だからだ。最奥の核は手つかずのままだ。何をしようとも、それは手つかずのままだ。でもその逆は革命をもたらす。もし最奥の核が変わったら、表面は自動的に変化する。Osho - The VIigyana Bhairava Tantra

 

これでお解りのようにプログラム通りしか生きることが出来ず、それがわかればOshoが言うように、この生は至福になるのです。肉体の動くまま真我のプログラムによる指令に従っていればいいのですから思考入らずで楽ですよね。ここで言う不在とは(苦しむのは)あなたのジャッジが原因だと気づいてください♪

 

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4/25現在

先日「あるがままと、わがままの違いがわからないので教えてください」と言う質問が来ました。以前、このブログでもこの質問の説明をしましたが、簡単に言うと「わがまま」は自己を守るために行う人のことで、「あるがまま」は真我のプログラム通り自然の流れに沿ってジャッジなく行っている人のことです。

 

あなたの周りにわがままな人はいませんか?

 

もし、いるならその人の行動をよく見てください!きっと、そのわがままな人は自分の意見を通し、もしそれが通らなければ、(特に肉体を責められた時、または自分だけやらされていると思い込んでいる時)怒る人で、自己中心な為に肝心なところに気が回らず、自分の意見を通そうとして周りを振り回し、その行いを否定されると「どうせ、私が悪いんでしょ!」と悲劇の主人公になる特徴がある人です。

 

それに比べて、「あるがまま」の人は自己がなく、全て起こるべきして起こる出来事を真我のプログラム通りであると認識している人で、何が起きても気にしないのが特徴です。このようなことでわかるように、わがままな人は「自分=肉体」だと思い込んでいる人で、あるがままに人は「自分=真我」だと認識している人のことです。

 

結局わがままな人は、エゴのある人であり、あるがままの人は悟っている人となります。これで「あるがまま」と「わがまま」の違いがわかりましたか?似ているようで全く違います。あるがままだと思ったあなた!一見してみると同じようにみえるかもしれませんが、それは「あるがまま」ではありませんので思い違いをしないようにご注意を!(笑)

 

最後に「わがまま」をやめたいあなた!(周りに人がいる場合)あなたが何か行動を起したくなった時は、自分のルールですぐ行動するのでなく、まず相手の様子を見てから判断し行動するようにしたら、相手のことを気遣ういい勉強になると思います。

 

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4/21現在

釈迦牟尼は弟子たちに必ず三回「質問はないか?」と尋ねていたそうです。それぞれ、弟子たちのレベルに合わせて説法もしていましたが、実は釈迦牟尼が悟った後、死ぬまでの42年間同じ内容の話をいろいろな角度からお話していたそうです。そう、受け取る弟子たちが進化すれば、同じ内容の話を聞いてもとらえ方が違うのです。そのことがよくわかるOshoの説法がありますのでシャアします。

 

 

Osho:師の慈しみは限りない。彼はあなたがたの眠りが深いことをよく知っているので、何度もくり返し要点を明確にする。最初は聞き逃したかもしれないので、師はもう一度くり返す。二度目も聞き逃したかもしれないので、師はもう一度くり返す。仏陀は光明を得たあと42年間を生きたが、朝も夕も、昼も夜も、42年間、同じことを言っていた。絶えず同じことをくり返し言っていた。なぜなら、あなたがいつそれを理解するか誰にもわからないからだ。いつ、あなたが受容的になるか誰にもわからない。いつあなたのハートに小さな窓が開いて、客が入って来ることができるようになり、一条の光があなたを貫くか誰にもわからない。

 

二十四時間、あなたはいつも同じままでいるわけではない。ときにはひじょうに頑固になって、入り込むのがとてもむずかしいこともある。ときには耳がすっかり遠くなって、声が耳に届いていても、聞こえないかもしれない。だが、ときにはもう少しこころを開いて、もっと感じやすくなり、もっと愛情深くなり、もっとしっかり聴くことができ、あまり理屈っぽくなくなっているときもある。

 

柔和で、女性的になっているときもあれば、強情で、男性的になっているときもある。それは周期的に変わってゆく。それを見守ったら、じきにあなたは理解力が高まる瞬間や、理解力が低下する瞬間があることに気づくようになる。あなたは24時間、同じままでいるわけではない。あなたは絶えず変化し、流動している。師が話しつづけなければならないのはそのためだ。いつがあなたにとってふさわしい瞬間なのかは、誰にもわからないから、師はどこまでもくり返してゆく。正しい瞬間がやって来れば、必ず変容が起こる。一瞬でもハートを射ることができれば、あなたは、それからはまったくの別人になる。もう二度と同じ人間にはもどらない。

Osho - The Secrets Of Secrets

 

どうでしたか?釈迦牟尼の慈しみを感じられましたか!真実はそんな難しいもではありません。とてもシンプルで簡単なことなのですが、あなたの(データによる)ジャッジでねじ曲げられていることに気づいてください。

 

 

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