☆ラファエル☆
EARTH PEACE・WORLD WIDE・Spiritual Love Messenger

☆紫殉☆



アンナ・カレーニナ;歴史的に有名なバレリーナも飲まれていたと言われる『眼鏡肝油(めがねかんゆ)』を、皆様は御存知でしょうか?普通の肝油でなく、ぶちゅっと噛んでしまうと、かなり気持ち悪い味。美味しくない!そう、『良薬口に苦し』です。



その『眼鏡肝油』を、私は幼い頃、毎日、数年に渡り母に飲まされていました。恐らく、記憶が当初は定かでないのですが、2歳位から6歳の幼稚園を卒園するまで。小学生になり、大分元気になり、体育はひどく苦手でしたが、『嫌だぁ』と私から、辞めたカナ?



何故、飲まされていたかと申しますと、以前に記載しましたでしょうか?幼少の頃、何度も生死の境をさ迷い、高熱が続く…、瀕死の重態を体験…し。40度の高熱が続いた後は、助かっても、所謂、ヘレン・ケラーの様に、多重障害を持つ可能性があると、かけつけた医師に宣告された事も…何度、聞かされたことか?家族も、覚悟したと聞いています。



『今のこの顔を、覚えておいてあげてください。急変したら、すぐ連絡してください。』と、医師に言われたそうです。そして、両親も祖父母も眠れない朝を迎え、気がつくと私の熱が下がり、あどけない顔に戻っていたと…。



が、幼少時に生死をさ迷った後は必ず(3回はあり)、一度は家で飼っていた家畜(豚←私は、自宅の豚小屋の横の納屋で生まれ←キリストではなく…☆紫殉☆)が、突然亡くなったそうなのです。私を目に入れても痛くない程大事にしてくれた祖父は、豚の死も辛い筈でしょうに、『〇〇が生きとってくれて良かった!』と、涙をボロボロ流したと…。無論、家族、皆が!



他にも、今なら『感染症』でしょうか?それには一週間余?医者に通院し、治った頃、遠縁のおじ宅から、突然、『(おじが)心筋梗塞で亡くなった』との連絡が入った事も!



私の一番鮮明なる古い記憶は、特に私を抱いた母、横に祖父(父は銀行の仕事で間に合わず)、そして薬局のおじさんが乗り、タクシーに乗り、どこかへ慌てて連れて行かれる映像(2歳畤)です。(病院へ)運ばれる実像が残像として!真夜中なので、開けてくれる医師が見つからず、やっと一つ、開けてくれ助かったのです。もし、開けてくれる病院がなければ、私は亡くなっていたのです。



その時は、何と、物心もつき?後から話で聞いて知ったのですが、珍しく祖父母が小旅行に行く為、祖母がテレビの上に置いていた酔い止めの薬を、確か8錠中6錠?おやつ感覚で飲んでしまったみたいで、随分と時間が経ち、見つけてくれたのは、父の弟(私のおじ)で、当時、中学生でした。医者で指をつっこみ、吐き出させられる時、私は医師の指を噛みつき、泣き喚いたと聞いています。後で洗浄されたのか、そこまでは分かりません。が、『普通に育つのは難しい』らしき事を言われた様です。



ともかく、私は、助からなくても不思議な位の体験、病状を他にも抱え、虚弱体質で、が、助かり、小学生になっても、いえ、10代半ばまで?風邪等も引きやすく、今だに身体は強い方とは言えません。そんな事もあり、甘やかされ過保護で育てられたのも事実で、父母が、次に子どもを産まなかったのも、私の体質を心配しての事からかもしれません。



小学2年時、私は、『人を犠牲にして、私は生きているのだろうか?』と、真剣に悩みました。『生かされている』と言う感覚に至るまでには、時間をかなり要しました。『生きている、生きるとは?亡くなったら人はどこへ行くのだろうか?』と、小学2年時に頭をかすめました。軽い風邪を引いただけで『かあちゃん、私、死ねへんよなあ?』と泣きながら尋ね、母は、『死ねへん、死ねへん。〇〇ちゃんは、守られとるんでよ。心配しられん。』と、人が聞いたら、何と大袈裟な!と思われるでしょうが、その様なことも、しょっ中ありました。



そして、母は必ず私に言いました。『〇〇ちゃんが死んだら、おかあさんも死ぬけんな。死なれたら困るんでよ。』と。涙を浮かべ、抱きしめてくれました。



犠牲を強いる生命を作ってしまった?!☆命☆



でも、それは違う!



生かされている命!



☆寿命は「寿」の「命」!☆



眼鏡肝油は、少し「イクラ」に似ていて、私の子どもは大好きですが、私はずっと苦手です。ぶちゅっと食べた時の幼少の頃のトラウマを今だに抱え?実は、ウニが大好きな私です。



☆命を愛おしむ日々☆



身体が強くないから、気力で乗り切る!



強くなったよぅ!じいちゃ~ん、ばあちゃ~ん、とうちゃ~ん!



でも、変人・奇人的な障害を伴った?→当たりかな?(笑)



生きていることに感謝ぁ☆


感謝ぁ☆☆☆




明日につづく…