真知子は、拓也と今後の事について、話し合った。

「母さんはね、こんな風になってみて、初めて、幸せが何なのか、わかったような気がするの。幸せは、お金持ちになる事でも、偉い人のなる事でもない。目の前にある、自分のなすべき事を、愛おしむように続けて行く事だと思うの。拓也は、まだ、ぼんやりとでも、自分の進むべき道を見つけたんだから、このまま院へすすんだ方がいいよ。はやく就職すれば、経済的に、楽になるだろうけど、若い拓也の、これから続く長い人生の中で、院へ通う事で、社会へ出るのが遅くなる2年間なんて、わずかな時間よ。母さんの事を心配して、院へは行かないって、決めたのなら…母さんの最後の望みを聞いてくれる?幸せになって。自分の事、自分の希望、自分の将来の事を、まず、第一に考えて。母さんの事を心配してくれる気持ちは嬉しいけど、母さんは、拓也の足手まといになりたくない。母さんがいなくなっても、拓也が一人で生きて行かれる事、拓也にとって、もう母さんが必要なくなる事が、今の母さんの一番の望なの。母さんがいなくなれば、拓也は、一人になる。でも、一人って、けして寂しい事じゃない。世の中、心ない人もいるけど、親切な人もたくさんいる。たくさんの人達と一緒にいるから、寂しくないってもんでもない。それぞれが、一人で、本当の自分と向き合って自立できていなけりゃ、ただ、互いに依存し合うだけの関係になっちゃう。大丈夫。拓也が、しっかりと自分の道を歩めるようになれば、きっと、いつか、共に歩んでくれる人が現れるものよ。だから、母さんのせいで、自分の道を見失わないで」

 拓也は、黙って、しばらく、うつむいていたが、

「わかったよ。母さん、院への進学、もう一度、考えてみるよ。ただ、僕が、母さんの最後の望みを聞くなら、僕の最後の望も、聞いて欲しい。通学、大変だけど、寮は引き払って、ここから通う。もし本当に、母さんの残り時間が、あとわずかなんだとしたら、できる限り、その時間を、一緒に過ごさせて欲しい。もっと、ぼくに頼って欲しい」

真知子は、嗚咽した。拓也の思いやりが、素直に嬉しかった。母が亡くなって以来、誰かの前で、こんな風に感情をさらけ出し、思いっきり泣いたのは、初めてだった。