息詰まるような、受験の冬を越し、拓也は、都心の国立大の寮で、一人暮らしを始めた。大学は、東大、東工大クラスより偏差値が下がるものの、ノーベル賞受賞者を輩出している中堅所だ。拓也の在籍する学部では、8~9割の学生が、4年の学部を終えたのち、院へと進む。東大、東工大の院へと移る者もいる。圧倒的に男子ばかりが目立つ国立理系の学生達は、入学後、いわゆるおしゃれな大学生のイメージとはかけ離れて、拓也を含め、みな、忙しく勉強に追われる日々を過ごしていた。格安の学生寮へ入る事ができたので、入学と同時に、拓也は一人暮らしを始めた。拓也の引っ越しは、バタバタだった。国立前期で合格を果たしたものの、国立大は、合格発表が3月上旬と遅い。入寮が決まってから、入学式までは、一週間しかなかった。真知子としては、いろいろ揃えてやりたかったが、

「机も、ベッドも付いてるし、コインランドリーもあるから、何もいらないよ」

すべて、拓也の思い通りにするのが一番だと、支度のために用意しておいた貯金は、そのまま現金で渡した。

 最後まで、バタバタとしたまま、拓也を送り出した。

「行ってらっしゃい」

と、玄関前の二階の廊下から、段々と小さくなって行く拓也を、見つめ続けた。夫を失い、二人きりとなってから、ずっと、この玄関から、拓也を見送り続けてきた。

「小学校へ入学して、ハラハラしながら見送った、初めての一人での登校」

「イジメにあって、行きたくないとぐずる拓也を、心では、抱きしめたくても、凛として、登校を促した朝」

「祈りに満ちた受験の日」

真知子には、わかっていた。

 

 今日が、本当の巣立ちの日。たとえ、また、帰ってくる事があっても、その時は、もう、これまでの拓也じゃない。危なげで狭苦しい真知子の羽の下に守られていた拓也じゃない。命を宿した時から、まさに一心同体の時を過ごし、共に生まれ出る苦しみを味わい。その後、なぜか、ずっと続くように錯覚してきた子育て。雑多な負担から、早く解放されたいと望む日もあった。けれど、過ぎ去ってみれば、あまりにも、あっけなく思える。

 

 あの角を曲がれば、豆粒のような拓也が見えなくなる。その時、拓也は、真知子の方を振り向いて、片手をあげた。こらえていた嗚咽が堰を切った。角を曲がる拓也を確認して、玄関の扉を開け、家の中に入る。家の中の空気は、固まっていた。拓也が使っていた四畳半の小さな部屋。クロゼットも本棚もガラガラだ。よけいな物を買い揃えるよりはと、食器類まで、持たせてしまった。突き上げるような寂しさで、真知子は、ソファーに倒れ込むと全身で泣いた。

 

 

 若者の特徴は、振り返らない事だ。拓也は、母の事を気に掛けながらも、日々の勉強、新しく始まった人付き合い、慣れない一人暮らしで、感傷に浸っている暇などなかった。それでも、必ず月に一度は、真知子の所へ顔を出すようにしていた。

 真知子の喪失感は、しばらく癒えなかったが、次第に、月一度の拓也の来訪を楽しみにするようになった。真知子は、理性的な人間だった。子育ての最終目標が、子が親を必要としなくなる事だと、よく理解していた。子にまとわりついて、ドロドロとした恩を売ろうなどとは、考えなかったし、いつでも、自分が全面に出て、主役になろうとも、思っていなかった。むしろ、母子家庭としての、重い責任を果たす事ができてよかったとほっとしていた。けれど、経済面の負担は減る所か、厳しいままだ。拓也は「いっさい仕送りは要らない」と、言っているけれど、真知子としては、自分一人の生活費を切り詰めてでも、少しでも、送ってやりたかった。そして、その想いが、日々の真知子のやりがいでもあった。

 

 

 乳癌の手術から4年が経った。真知子50才。拓也は3年生になった。4年生になれば、就職活動が始まるが、拓也の学部では、ほとんどの学生が院へと進むので、まだ、社会へと出る差し迫った感じはなく、学生達は、ひたすら、勉強に追われていた。

 久しぶりに帰省した拓也を前に、真知子が切り出す。

「拓也も、院へと進むんでしょう?」

「うん、母さんには、負担ばかりだけど、そうしたい。6年なんて長いと、最初思ったけど、ヤッパ、学問は、奥が深いよ。4年じゃ、中途半端で終わりそうだ」

「何言ってるの、負担だなんて。全て、奨学金でやり繰りさせて。拓也には、申し訳ないと思っているのよ」

「でも、時々、送ってくれる仕送り、とっても、助かってるよ」

「もう少し、決まった額を送ってあげられるといいんだけどね」

「十分だよ。俺が働いて、母さんに仕送りするような歳なんだから。それより、乳癌の定期健診がそろそろじゃない?どう?体調の方は?お金の事なんかより、とにかく、無理しないでよ」

「うん。検査は来週よ。大丈夫よ、無理なんかしないわ。なにしろ、やたら手のかかった○○也って人の世話がなくなったからね」

真知子は、屈託なく笑って見せたが、とげのように、心の中に引っかかる事があった。一ケ月ほど前から、右足を踏み込む度、妙な痛みが走る。右足に上手く体重が乗らず、歩きにくい感じは、日に日にひどくなってきた。乳癌の定期健診は、手術後、一ケ月おきから、三か月おきになり、4年目の今は一年に一回になった。再発の不安は、消え去る事はなかったが、検査結果を聞きに行く度「異常ありません」の言葉をもらい、もう、このまま再発はないんじゃないかという安心感の方が強くなってきた。ただ、乳癌の場合は、5年、10年後の再発もあり得るので、気にかかってはいた。

「でも、まさか、足の痛みと乳癌を関連付けるなんて、心配のし過ぎよね」

真知子は、そう、自分に言い聞かせ、杞憂に終わる事を望み、拓也には、よけいな心配事を話さなかった。