誰だって「癌」と診断されれば、うろたえる。けれど、早期の癌患者には「治る」という希望がある。再発の不安を抱えながらも、植物が太陽の光の方を向くように、治るのだという希望へ向かって、進んで行く。

真知子と拓也もそうだった。術中に採取して生検に回された真知子の癌細胞は、悪性度、増殖能力共に平均値。Her2陰性。ホルモン感受性陽性という結果が出た。抗がん剤治療を受ける事も検討したが、真知子は、アレルギー体質であり、早期である事を考慮して、ホルモン療法と手術した乳房への放射線療法のみ受ける事になった。月一回の注射で、何十年もの間、規則正しく繰り返されていた生理は、ピタリと止まった。その上、女性ホルモンが効かなくなるための飲み薬も服用する。ホルモン療法は5年~10年続ける事になる。真知子の年齢から考えて、おそらく、このまま閉経するものと思われた。人工的に突然に作り出された更年期に、真知子は、様々な症状に見舞われた。まず、ホットフラッシュ。真冬でも、突然に体中が、火の玉のように熱くなる。ぽたぽたと汗がしたたり落ちる。その汗は、また、突然に止み、今度は、寒さで、がたがたと震えがくる。そして、感情が不安定になる。わけもなく涙がこぼれたり、ちょっとした事にイライラする。疲れやすくなり、すぐに風邪をひいてしまったりする。美容面でも、髪が薄くなったり、シミやシワが気になったりする。TVを観ていると生理用品のCMが流れた。真知子は、何だか急に寂しくなった。これまで、生理など、鬱陶しいものとしか捉えてこなかったのに、自分でも意外な心の動きだった。まだ40代。拓也を一人前にして母としての責任をはたした後は、また、恋だってするかもしれないという思いも、心の片隅にあった。でも、乳房には傷が残り、閉経した。

「もう、私は、女じゃなくなっちゃったんだ」

喪失感のようなものが、心の中に、もやもやと広がって行った。

 しかし、センチな気分に浸っている余裕はなかった。放射線治療は、予想以上に大変だった。放射線をあてる時間は、数分程度だが、放射線治療というのは、連続して受けないと効果がない。一か月半、連日の通院が始まった。

「いいんだか?悪いんだか?」

真知子は思う。癌という大病を患ったからと言って、真知子のような立場では、仕事を休むわけには行かない。変に同情されたり、根掘り葉掘り聞かれるのは、いやなので、上司以外、同僚に「乳癌」の事は言わなかった。入院中は、適当な理由をつけて休み、放射線治療の通院は、仕事帰りに予定を組んだ。帰宅がいつもより遅くなる真知子を気遣って、拓也が夕飯作りを買って出た。乱切りのような野菜炒め、ウィンクしている目玉焼き、総菜コーナーのコロッケにサラダが添えられている時もあった。疲れ切って帰宅した時、食事が出来ている事ほど、ありがたい事はない。放射線治療の副作用は、じわじわとやって来る。治療の回を重ねる事に、妙なだるさで、帰宅後の真知子は、ソファーに倒れ込む。照射した乳房は、激しく日焼けした後のように、真っ赤だった。小さな水ぶくれがつぶれて、リンパ液が滲んでいる。ひりひりする痛みを押さえるために、濡れタオルをあててしのいだ。拓也は、さり気なく、食後の片付けもこなした。

父親役、母親役、仕事、家事、全てを抱え込んで、これまで、真知子は、一人で、走り続けてきた。突然、降ってわいたような「乳癌騒ぎ」は、真知子を、立ち止まらせ、自分の人生や価値観、拓也に対する母としての想いを見直す機会となった。

そこそこに健康であれば、人はみな、何となく「自分は、平均寿命まで、生きられるんじゃないか」そんなふうに思う。日本人の平均寿命は長い。まだ、40代の真知子であれば、人生の半分にもみたない。けれど、平均は、平均であって、実際には、若くして、命を終える人はたくさんいる。生まれてすぐに亡くなる赤ちゃんだっている。けれど、平和な日本で、暮らしていると「死」は、遠く、日常から切り離されている。長生きこそが、いい事で、早死にする人は、どこか、負け犬のような哀れさで、包まれる。死後の世界の事など、不吉な出来事のように、考えてみる事すら避けてきた。真知子のように、母親や夫の死を乗り越えてきた者でさえ、過ぎてしまえば、そうなのだった。突然に「死」が実感を伴って迫ってきた。恐怖と共に、真知子は強く感じた。

「母親の私がいなくなっても、拓也が生きて行けるようにしなくちゃ」

頼れる親戚などいない母子家庭なのに、これまで、どこか、真知子は呑気だった。毎月の支払いや日々の雑事には、ピリピリしていても、自分がいなくなるという事は、頭になかった。学業優秀な拓也が、プレゼントしてくれた「母としてのプライド」「東大」「早稲田」「慶応」そんなブランドとしての大学名に有頂天になっていた、これまでの自分を、真知子は恥じた。

「拓也が、学生生活を終えた時、生涯の仕事として取り組めるような仕事につながるような大学へ。そして、身の回りの生活面でも、一人でやって行けるようにしなくては」

 

 同じような事を、拓也も考え始めていた。

「いつまでも、母さんを頼りにしていてはいけない。何とか、母さんに負担をかけない形で進学して、経済面で母さんを支えられるようにならなくちゃ」

 高校での「進路相談」の日が迫ってきた。泉高では、ほぼ全員が進学する。問題は、何処を受験するかだ。進学校の泉高でも、国立狙いは、全体の四分の一程度だ。特に理系学部に置いては、国立のメリットは大きい。学費の安さに加え、入学後の教授陣、施設も充実している。卒業後の進路も有利だ。それでも、受験生は、国立を敬遠する。国立を目指すためには、勉強すべき科目が、圧倒的に増えるからだ。センター試験で五教科七科目。加えて、本試験の科目。そして、実質、一校しか挑戦できない。国立上位を狙える生徒なら、MARCHはもちろん、早慶合格も可能だから、浪人を避けるため、私立に流れて行く場合も多い。けれど、学費を全て奨学金で賄うつもりの拓也にとっては、国立は、外せない。

「浪人せず、確実に狙える国立を選ばなくては」

これまで、内心、「東大に挑戦してみたい」そんな夢を持っていたが、

「一発で東大受験をクリアできるほどの頭脳を自分は持ち合わせていない」

そんな風に、妙に客観的に判断できるようになった自分に、拓也は、ちょっと驚いた。

「地に足が着くって事?大人になったのかな?」

拓也は、一人で、苦笑した。そう「真知子の癌騒ぎ」は、拓也を一気に、大人にした。そして、真知子にとっては、浮ついた母としての見栄を、本来の母としての気持ちへと、リセットして行った。

 

 近くて大切な人どうし、大切な話というのは、「さぁ、話をするぞ」とかしこまってする時ではなく、何気ない時にこぼれ落ちる。真知子と拓也は、三者面談のため、泉高へと向かう道すがら、拓也の進路について話をした。切り出したのは、拓也の方だった。

「母さんの癌は、絶対、治るよ。だけど、おれにとって、いろいろ考えさせられるチャンスだった。ずっと、母さんに頼ってきたけど、『もう、大人にならないと』って。自分なりに、将来の事、真剣に考えてみた。以前、ノーベル賞を取った山中先生が、『人類に役立つ大きな発見は、誰かがその扉を開く前に、たくさんの研究者が、たくさんの扉を開いてきた続きなんだ』って。ぼくは、世に名前なんか残せるヤツじゃないけど、そうした大勢の一人になりたい。自分の得意な分野を活かして、社会に役立つ仕事に就きたい。一人暮らしも考えて、進学先を選ぼうと思ってるんだ。その方が、選択肢が広がるから。母さん、すべて、ぼくの思い通りに決めてもいい?」

「もちろんよ」

母親らしい体裁を保ちながら、真知子は、とうに、自分の背丈を追い越している拓也の横顔を見上げ、誇らしい思いと、たまらなく寂しい思いが交錯していた。