受験生を抱えた家庭にとって、クリスマスや正月を、平常心で、楽しもうと思っても、無理がある。受験生本人はもちろん、見守る家族にとっても、心は、常に、受験日に焦点があってしまう。キーンと乾いた冬空のように、心は、張り詰めている。

 

「どうして、この時期なのかしら?」

真知子は思う。入試の季節は、雪だの、インフルエンザだの、心配が多い。

 

担任の佐藤先生には、冬休み前の面談でも、泉高の受験を言い出せなかった。繰り返される模試の判定から、山下先生からのゴーサインは、出ていた。内申等の書類を書いてもらう手前、担任のOKを、もらわなくてはならない。出願わずか一週間前の一月末、意を決して、真知子は、佐藤先生のもとへ向かった。

「佐藤先生、拓也は、泉高を受けたいと言っていまして」

「はぁ?」

こばかにしたような、リアクションのまま、佐藤先生は続けた。

「この時期になるとねぇ、夢と現実の区別がつかなくなっちゃう子が多いのよね」

込み上げる怒りを飲み込みながら、真知子は、笑顔で、先生を見つめる。

「参考になればと思って、ここ最近の模試の結果を持ってきました」

模試の結果は、泉高への受験は、どれもA判定だった。佐藤先生は、一枚、一枚、模試の結果に目を通す。たたみかけるように、真知子は、穏やかな声で続ける。

「万が一を考えて、滑り止めをつけようと思います。北高です。受験当日に、今の実力を出せれば、北高の奨学生になれるって、塾の先生は仰っているんです」

「まぁ、そういう事なら、いいですよ。高望みして、失敗して、行く高校がなくなっちゃうと、こちらも、身の振り方を探すのに迷惑しますけど、北高があるんなら、いいんじゃない?」

この無礼者と、怒鳴り飛ばしたい気持ちを、悟られないように、真知子は、最後まで、笑顔を通す。プライドなど、拓也のためなら、何度でも捨てよう。担任としての許可さえもらえればいいのだから。真知子は、わざとらしい深々としたお辞儀で、教室を後にした。

 

 入試当日は、横浜では、珍しい大雪だった。雪に慣れていない人々は、少し雪が積もっただけで、右往左往する。真知子は、まだ夜が明けきらないうちから、カーテン越しに、何度も、雪の積もり具合を確認する。念のため、今日は、仕事の休みをもらっていてよかったと思った。

 

「拓也、過保護母ちゃんかもしれないけど、泉高の最寄り駅まで、一緒にいくわ。電車が止まっていたら、タクシーで行かなきゃならないし」

 外は、吹雪と言ってもいい降り具合だった。拓也と二人、不思議と、寒さは感じなかった。

 

「忠臣蔵の出陣みたいだね」

緊張をほぐそうと、真知子の発したジョークに、拓也は、いつもの笑顔をみせた。

 

 泉高の最寄り駅へ着くと、たくさんの受験生であふれかえっていた。駅の改札を出た所で、拓也を見送る。拓也は、一度も振り返る事なく、人混みに消えていった。

「この一人一人が、拓也のライバルか?」

そんな想いで、見つめる受験生達は、さすがに泉高の受験生達らしく、みんな頭がよさそうだ。

「こんな秀才みたいな子達の中で、拓也は、大丈夫かしら?とんでもない挑戦をしてしまったのかしら?」

ふと、そんな弱気な思いにとらわれた真知子は、小さく首をふる。

「拓也の頑張りをずっと見て来たんだから、信じて待とう」

 

 真知子は、そのままアパートに帰る気になれなかった。ここから、少し歩いた所に、もう、何年も行っていない教会がある。観光名所にもなっている、歴史のある美しい教会だ。そこで、 17年前、英治と真知子は、結婚式を挙げた。二人とも、クリスチャンではなかったが、そのカトリック教会では、信徒ではなくても、式を挙げる事ができた。

吹雪の中を、真知子は一歩ずつ進む。ひたすらに、拓也の事を思いながら。それ自体が、祈りのようであった。

 

 やっとたどり着いた教会のたたずまいは、17年前と変わらない。優しく微笑むマリア像の頭上に降り積もった雪を、そっと払うと、真知子は、聖堂の中へと入って行った。真知子は、静かに祈る。

「英治さん、拓也は、また一つ、大人になったよ。守ってやって」

 

 受験生達は、試験が終わると、塾へ向かう。塾の先生が用意してくれた回答蘭に、自分の回答を書き込み、採点して行く。塾の先生は、その総合得点で、合否を予想する。

 

 真知子は、拓也の帰りを待ちわびる。早々と夕飯の支度を始めたが、夕飯が出来上がっても、まだ、拓也は帰らない。洗濯物をたたんだり、真知子は、今、やらなくてもいいような事で、体を動かす。落ち着かない気分のあまり、じっとしている事ができないのだ。