派遣とは言え、今の職場は、もう3年になる。節約のため、真知子は、弁当派だ。昼休み、食事を終えた後の雑談の時間が、真知子は苦手だった。真知子が母子家庭だとわかると、何となく、同年輩の主婦達は、上から目線となる。ドラマティックな事など何もない私生活を、根掘り葉掘り聞かれるのは嫌だった。だいたい雑談の内容は、夫や姑への不満、子供の自慢、職場の噂話、そんな所だ。

 

真知子と同年輩のエリは、不倫をしている。ダブル不倫だ。エリの打ち明け話は続く。含みを持った笑いは、同調を得ようというより、失いかけている女としての魅力や若さを、誰かれなく認めさせ、自慢したいという欲望を感じさせた。エリの組んだ足のラインは、そう悪くない。けれど、若い女の子のように、ゆるふわな感じに仕上げたヘアースタイルは、どこか「痛い」。ダマになるほどぽってりと塗り重ねたマスカラは、生きるという事へのエリの不器用さを、グロスでヌメヌメと光る唇はむき出しの欲望を、感じさせた。

 

「自分が男だったら?」

真知子は、考える。

「エリのような40女に、ときめくものだろうか?」

年齢の問題じゃないような気はするけれど、少なくとも、ひっかけられるのを、持ち構えているような女は、欲求のはけ口としては、手軽でちょうどいいといった所だろう。

 

 その場にいながら、話に加わる事もなく、盛り上がらない真知子に、エリは話を振る。

「清水さんは、どうなの?ダンナさん、亡くなってから、ずっと、何もないって事はないでしょう?」

真知子は、心の中を見透かされたようで、ドキッとする。とっさに、

「これと言って、何もないわよ。私、エリさんみたいにモテないもの」

自慢話をする人は、扱いやすい。自慢している事を、認めて、ほめてやりさえすればいい。気をよくしたエリは、また、話の輪の中心にもどり、秘め事とも言えない秘め事の話で、盛り上がって行く。

 

 風当りのなくなった場所で、適当にうなづきながら、真知子は思う。英治が亡くなって、もう十年になるのか…拓也と二人、生きて行くのに必死だった。まだ、30代の頃には、それらしい誘いも幾つかあった。でも、現実的な真知子は、いろいろと考えてしまう。

「奥さんにばれたら?」

「病気をうつされたりしたら?」

結局、一歩をふみだせなかった。真知子にだって欲望がないわけじゃない。でも、それは、ちょっとしたファンタジーで、事足りてしまう程度のものだ。女の欲望と男の欲望は、性質も強さも違う。時代が変わろうが、純愛だろうが、火遊びだろうが、そうした結果、妊娠でもすれば、痛みを引き受けるのは、いつでも、女なのだから。

 

 真知子は、女ばかりの中で育った。男きょうだいはおらず、小学校から、女子校へ入れられた。恋心を抱くのは、女子ばかり。恋というより、憧れにちかいものだった。男性の毛深い体や粗雑さが、潔癖症で、子供っぽい真知子には、たえられなかった。

 

 そんな真知子に突然に訪れた恋。英治のどこが、真知子の恋心にふれたのか、真知子自身にも、よくわからない。恋とは、そんなものなのだろう。理屈や打算ではなく、突然にやってくる。

 

 同じ部署の先輩であり、リーダーだった英治。互いにただの同僚に過ぎなかったが、真知子のミスを英治がかばってくれた事がきっかけだった。

「お礼というか、お詫びというか…夕ご飯、おごらせてください」

「そんなの、気にしなくていいよ」

英治と食事に行った。おごらせては、もらえず割り勘だった。それを、きっかけに、ともに過ごす時間が増えていった。

 

 恋は、急に女をきれいにする。身だしなみに過ぎなかった、オシャレや化粧も、英治に見られる自分を意識して、気合いがはいる。出社そののものが、ウキウキする。独身どうしの若者の、恋の進展は早い。

 夜景の綺麗なホテルで、共に朝を迎えた。

真知子は、英治の過去の恋愛体験を聞きたがるような、知性のない女ではなかった。英治の真知子に対する扱いは、スマートだった。

「私が、初めての女じゃないんだろう」

真知子は、そう感じた。けれど、真知子は、ただ嬉しかった。ベッドサイドのカーテンごしに、朝の光がきらめく。その中で、着替えを始めた英治の後ろ姿を、真知子は見つめた。男の裸体というものを、初めて美しいと感じた。

 父子家庭の真知子と、母子家庭の英治。けれど、それは、別にハンデというほどの事でもなく、真知子は妻となり、母となった。幸せだった。あの日までは…