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一ヶ月以上前になる。

昭和の大スターが亡くなり、
その友人が、
「大スターでも何でも…人間、死んだらおしまいだ」
と、つぶやいていた。

彼の目は、力なく、虚無感と恐怖に、満々ていた。
彼自身、若くはないし、癌を患っているので、
己れの身と、重ね合わせて、
いろいろ、感じる事があったのだろう。

「死」を受けとめる事、
「死」を、どう考えるか、

それは…
それぞれの生き方、そのもののような気がする。

100%と、言い切れる物事は、数少ないが、
「死」は、誰にとっても100%だ。

それなのに…
人は、
「死」を怖れ…
「死」から、目をそむける。

私は…
癌がわかってから、何年もの間、
「死」が、怖くて仕方なかった。

けれど…
今は、
そんな自分を、
「甘ちゃんだったナ」と、思う。

「不自由な体」「痛み」に耐えながら「生きる事」の方が「死」より、つらい。

いじけ虫にやられている時は…
「私って、貧乏クジばかりの人生だったナ」
などと思う。

続けたかった仕事を捨てて、夫の仕事をサポートしてきた。
私自身に残るものは、何もなく…
自分の「お金」「時間」「労力」その全ては…
家族のために、費やした。
(世の女性の多くは、そうなんじゃないかナ…?)

やっと…
子育ての責任を果たし…
自分のための、自由な時間を持てるようになった途端…
外へ出る事すら、叶わなくなった。

今は…
ただ…

△男に…
「お帰り!」
と、言うために、頑張っている。

今の私にとって…
「死」は、ゴール。

その日まで…
自分の「命」に、敬意を持って生きる。

ゴールのテープをきった途端…

全ての終わりと思ったものが…
全ての始まりとなる。

この世で、揺るぎない価値を持っていたものが…
ただのクズとなる。

この世で…
「貧乏クジ」と、思っていたものが…
「宝」に、変わるのかもしれない。







裕子