先日のカトリック教会のミサでの、神父さんの話は…
「狭き門」についてだった。

学生時代、アンドレ.ジイドの「狭き門」を読んだ事があるが、意味がわからなかった。

ミッションスクール時代、聖書の中の「狭き門」の一節を勉強したが、やはり、よくわからなかった。

だいたい、若い頃は、宗教に興味がなかった。
目には見えない、夢物語のような話を信じる気にはなれなかったし…
辛気くさい話より、ファッションや恋や目先の楽しみの方に、心引かれた。

けれど…

人生を歩む中で…
自分の力では、どうにも解決できない出来事にぶつかった。

「息子の障害がわかった時」
「末期癌とわかった時」

泣いて、泣いて…
「もう、死んでしまいたい」
と、道を見失った時…
幾度か、不思議な体験をした。
「生かされているんだ」と思った。


「狭き門」の話が、一瞬で、府に落ちた。

門の先にあるものは…
「命」「天国」

人は、みな、広き門へと向かう。

「広き門」は…
みなを迎え入れるように広々と明るい。
たくさんの人々が集い、安心感がある。
たくさんの欲を満たしてくれる。
「物欲」「金銭欲」「名誉欲」「支配欲」
愛され、理解され、快楽に満たされる。

「広き門」の中には、様々なものが含まれる。
「実践を伴わない、心地よい信仰」
「自らが救われたいためだけの信仰」
「自分に都合のよい奇蹟を祈る信仰」
「自らの罪に気付かない傲慢さ」
「疑う事のない偽善」

「広き門」へと誘う悪魔に導かれるまま…
人々は、宗教の名のもとに、殺し合う。


一方の「狭き門」は、人気がない(笑)

歩く人は少なく、細く曲がりくねっている。
けれど、その道は、天国へと続く道なのだ。
あきらめず、歩き続ける人だけが、招き入れられる。

「死」が近づいてきて、わかった事は…
天国へ行くのって、意外と難しいんだナ(笑)

日本人には、馴染み深い「輪廻転生」って…
もしかしたら、神様の温情による「敗者復活戦」なのかも…?
「地獄に落ちるほど悪いヤツじゃないけど、天国へは行けないから、もう一度、やり直し!」って…

してみると…

私は…
何度目かの「やり直し組」なのかもしれないナ~

でも、また「広き門」の方へ行っちゃうから…
強制的に、神様が、たくさんの「試練」を与えて「狭き門」を歩くように、誘導されているような気がする。

天国までたどり着かなくても「狭き門」の中には「本当の幸せ」がある。

あぁ、神様…

誘惑に負ける事なく、
「狭き門」を、歩き続ける事ができますように!






ラファエラマリア裕子