「死刑宣告」…

「検査結果の発表の日」を、いつも、そう呼んでいる。


みんな、イヤでしょうこの日の待合室での時間…

一年に一回だったこの日が…半年に一回になり…3ケ月になり…今は2か月に一回

望む事も変わってきた。

「どうか、再発していませんように…」が…

「どうか、これ以上、悪くなっていませんように…」


昨日の結果は、悪くなってはいませんでした。

現在の病状は…

脊髄、骨盤を中心に、たくさんの転移巣があるものの、そこで、おさまっている。痛みの発作は、骨ではなく、坐骨神経の出口付近にある腫瘍が、神経を刺激する時に起きるらしい。二年前に、潰瘍性大腸炎の持病のリスクを覚悟で、25回の放射線治療で焼き切ったはずの、腸骨の転移巣が、また、ムクムクと勢力を増している。

「テメ、コノヤロ~!」(失礼)

癌て、バカだナ~!宿主の私が死ねば、もろともなのに…

一口に「癌」といっても、「癌細胞の性質」は、一人一人違う。

私の「癌」はやたらに、増殖能力が高い。現在は「ki67」の%で、増殖能力を測るようだが、10%前後の人が多いのに、私は30~40% そして、潰瘍性大腸炎の持病が激しいため、使える抗癌剤の種類が限られている。


末期癌患者は、どうしたって、今後を考える。

今、末期癌患者として医療に望む事は、最後まで、QOLを落とさず、できれば、おだやかに逝きたい。


「死」というものへの向い方は、人それぞれでいい。

「最後の最後まで、死ぬ事なんて考えない!」

「せっかく癌になったんだから…!?心も含め、いろいろ準備して、その時を迎えたい」


私は、後者…けれど…いつになっても、片付かない思いは…残して行く家族の事、特に自閉症の長男の事…

「家族の笑顔が見たいから、ずっと、がんばってきたのに…私が癌になんかなったせいで、家族はみんな苦しんでいる。障害児を持ったら、一日でも、長生きしなきゃいけないのに…」


いくら、信仰を持っても、聖書を読んでも、なかなか答えはみつからない。神父さんに、思いをぶつけた。神父さんは…

「家族の死に苦しむのは、信仰がないから…」

「じゃ~信仰ってのは、人としての気持ちをなくす事ですか?」

あろう事か、神父さんとケンカ…(もう、仲直りしました)


信仰があろうがなかろうが…愛する人の死から立ち直る事は難しい…

泣いて…泣いて…鉛のような悲しみを心の中に抱えたまま、生きて行くんだろう。


救われるよすがは…「愛」しかないと思う。

亡くなった愛している人の気持ちになってみる。何と思っているのか聞いてみる。

その人が、あなたを深く愛しているなら、きっと、こう答えるはず…

「前を向いて、自分の人生を精一杯生きて!笑って!私の事なんか忘れて、楽しんでいいんだよ!」


「愛」は、ぬるく、甘くて、心地よいものなんかじゃない。

きびしくて、あつく、激しいものだと思う。


裕子ドキドキ