2才の長男の自閉症がわかった時、一瞬、親子心中を思った。
「子供というのは、未来をつないで行くもの…だから、大変な育児もやりがいがある」
そんなふうに思っていた。
それが…息子は…将来、社会の役に立つどころかどころか、社会のお荷物となる存在なのだ。
そのショックは大きかった。
彼の存在によって、私はそれまで持っていた価値感を、根底から揺さぶられた。
「人間って何?」
その問いかけは、今も続いている。
26才の彼は、養護学校を卒業後、ずっと、いわゆる作業所と呼ばれるお弁当屋さんで働いている。
知的障害を持つ仲間は25名…みんな働き者だ。
毎日200個近いお弁当が、職員さん達の支えによって作られる。
午前中は戦場のような忙しさだ。
12:00前…照り付ける夏の日も…凍てつく冬の日も…それぞれ配達に出かける。
午後は…洗い物や、翌日の仕込みがある。
お弁当は優しい味がする。
見かけは地味だが…化学調味料を一切使わず、手間を惜しまず作られている。
でも…「障害者の作るお弁当」という事で、毛嫌いする人もいる。
そんな中、地域のお得意さん達によって支えられている。
「仕事ってなんだろう?」
働く彼によって、日々考えさせられる。
もちろん、お金を稼いで生活するためだ。
しかし…彼の貰う工賃は一ケ月に数万円
(作業所の中ではかなり高い方だ)
これではとても生活して行く事はできない。
「親亡きあとはどうなるのか…?」
「兄弟が面倒をみるのか…?」
自分が「癌」と診断された6年前から、真剣に考え始めた。
住居は、施設、グループホームなど…そこから、作業所に通う。
経済面においては…障害者年金あるいは生活保護の中でやって行けるような制度になっている。
では…国が食べさせてくれるのなら…「お荷物」とそしられる事はあっても、「働かなくてもいい」という事になる。
しかし、働く息子達を見ていていつも感じるのは
「働くという事は、けしてお金のためだけではない」
という事…それを、けしてきれい事ではなく、肌で感じさせてくれる。
「お金を得る事」
…それだけが「仕事」の意義だとしたら…子育てなんて、誰もやりたがらない。
待っていてくれる人ただ一人のもとへ…息子はお弁当を届ける。
放っておいても…人は金稼ぎに走る。
でも「人生の目的も仕事の意義もそれだけじゃない」
自閉症の息子達の働きぶりは、それを教えてくれる。
<お弁当屋のメニューです>