長男の障害が判った20数年前、自立など望めないのだから「私が長生きしなくちゃ」と思った。
我が子の障害を、親はそう簡単にうけいれられるものではないと思う。第一手がかかる、どうしていいのかわからない。
「こんな子いらない」正直何度もそう思った。
「障害」「病」「死」大きな問題を突きつけられた時、人はそう簡単にスグに前向きに進めない。立ち直るのに時間がかかる。でも、もがき苦しむのは、その問題と正面から向き合っている証拠でもある。
折れそうな心を支え、進む道を示してくれるのは、結局、我が子を「カワイイ」と思う気持ち以外なかったと思う。
私は鬼のような形相で、毎日彼に勉強を教えた。
「自閉症児でも、最低限の社会のルールは守らなくちゃいけないんだヨ!」
と、夫の躾はきびしかった。体罰もあった。
100%の子育てなんて、とてもできなかった。
ただ、いつも根底にあったのは「幸せに生きていって欲しい」(親亡き後も…)という思いだった。
休日の今日、長男は体調の悪い私に代わって買い物に行っている。
幼い頃の特訓のおかげで…!?読み書き・計算は得意だ。最低限の社会のルールは守っている。(…と思う)
家族の中で誰よりも、長男の生活面は自立している。(夫よ次男よ…見習って…)
様々な事で、これからも他の人の助けをかりながらではあるが…長男はきっと大丈夫だ。
先日○○放送協会のTさんに
「最後に家族にしてあげられる事はなんですか?」
と質問されて…私は答えられなかった。
「青年後見人制度が…断捨離が…」等という細かい事は思いつくが…それが答えじゃない。
「答え」は、最後の最後まで…「想い続ける事」…それしかないと思う。
大切な人を思い続けて行けば…その日その時、何をする事がベストなのか?…何と言うべきなのか?きっと見えてくるはず。
たとえ道を間違える日々があっても…その間違いに気づくはず。
「想う気持ち」
それは…長男の中にもしっかりある。
「障害」云々より…それが一番大切…それがすべて…
今、確かにそう思える。
裕子