「人は何かの代償なしに何かを得ることができない。 これが錬金術における等価交換の原則だ。 その頃、僕らはそれが世界の法則だと信じていた」
これは鋼の錬金術師のオープニングの言葉である。
皆さんはどう思います?
等価交換
たしかに自分が好きなことをやっているのになにかが
犠牲になっているかもしれない。(今の自分がそうかもしれない)
これはごく当たり前なこと。
しかし犠牲を払うことをためらって好きなことをあきらめる。
これはあきらめることによって自分の意思を犠牲にしている。
さてどっちがいいですか?
というか前者と後者等価ですか?
前者は犠牲になっているかはわからない。
しかし後者は明らかに意思を犠牲にしている!!
なのでこの場合においての等価交換の原理は
完全に正しいとは言えない。
人は何かの代償なしに何かを得ることができない。
はたしてこれが真なのが偽なのか?
考え深いことである。