今日は第15主日でした。
種を蒔くお話でした。
種は御言葉のことです。
今日のお話は、時間が経って、
わたしの記憶がうる覚えになり、
最後のあたりのメッセージを思い出せなくて、
忘れてしまいました…
適当にまとめて、私の考えが入るといけませんので、それは誤解になるので、
ありのままに、
途中までで、記載したいと思います。
すみません…。
第1朗読でのイザヤ55:10-11では、
御言葉には、力がある、ということを
話しているそうです。
そして、第2朗読ローマ8:18-23
御言葉がまかれたあとにも、
私達には苦しみがあります。
でもただの苦しみではない、
その苦しみには終わりがある。
産みの苦しみのように、
希望のある苦しみです。
そして今日の福音朗読マタイ13:1-23でした。
蒔く人は、
蒔く土地を選んだりしない。
みんなに蒔いています。
ただその蒔いた土地で
種がどうなるか、
4つの例えがあります。
ここまでは覚えているのですが、
あとは、記憶があいまいで、
はっきりと書けないので、ここまでにします。
確か、そのあとは、
4つの例えのうち、特に私達には4番目の茨の例えがよくおこる…
ということや…
イエスはこれらのことを秘めて、私達に偏見を持たずにオープンに話してくれた、
だから私達も心にあることを秘めないで偏見持たないでオープンになりましょう、
というような感じのお話をされていたと思います。
今回はメモを取らずに記憶で書いていますので、
わかりづらいですが、
わずかばかりの記憶から書いたお話でも、
どなたかのお心になにか届くものがあれば
幸いです。
今度は、ちゃんと
記憶がハッキリしているうちに
書き留めたいと思います。