今日は講座の日でした。

先週から引き続き、ヤコブからのお話でした。

 

ヤコブから、感謝と謙遜をすること、与えることについて学びました。

 

ヤコブ4:4ー7

「不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。 それとも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。 しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。 そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。」

‭‭ヤコブの手紙‬ ‭4:4-7‬ ‭JA1955‬‬

http://bible.com/81/jas.4.4-7.ja1955

 

ここでいう、「世」とは神様から離れて、

神をいないことにしてしまう社会です。

社会にはもちろんいいこともいっぱいあるけれど

ここでの「世」は、

神様なんかいるわけがない、としてしまう社会のことです。

 

そして、「ねたむほどに」とありますが、

ヤコブは神様と人間の関係を、結婚関係のように捉えています。

主人が神様で、妻が人間です。

 

妻が自分から離れて他の人と浮気したら、嫉妬やねたみが主人の側にでてくるように、

同じように、私達人間が神様から離れて世を愛してしまう時、

神様は悲しんでしまうわけです。

 

ねたむほどに、というたとえは、悪い意味ではないです。

神様の愛は、理屈っぽい、哲学的な、感情が伴わない、口先だけの愛ではなく、

感情的な愛を伴っている、ということです。

それほど神様は、私達を愛していて、悪いことをするときは悲しまれています。

ただ白黒つける、モノクロな冷たい神ではなく、

カラフルな色味のある感情豊かな神様ということです。

 

そして次に

ヤコブ4:8ー12を読みました。

 「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。 苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。

 兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。 しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、いったい、何者であるか。」

‭‭ヤコブの手紙‬ ‭4:8-9, 11-12‬ ‭JA1955‬‬

http://bible.com/81/jas.4.8-9,11-12.ja1955


教会の中でも、雰囲気が悪くなる時は、誰かの悪口やゴシップの噂をするときです。

誰かをいろいろとやかく言う人は、その人自身も周りからとやかく言われます。

誰かに優しく謙遜にしている人は、その人自身も謙遜に対応されます。

マタイ5でもあるように、裁く裁きで裁き返されてしまいます。

さばくのは神様であり、

私達人間ではありません。謙遜するべきです。


また、手を清めて、とありますが、心を清めることも大事です。心が清められていなければ意味がありません。

行いも大事だけど、想いが大事です。

たとえば、神父様が、洗礼を授けて行いにおいてクリスチャンになった人がいても、

もし神父様が、ただ自分の教会の信者を増やしたい動機でそれをやるなら、

神様は悲しむし、心が伴わないので意味がありません。

心を清め、想いを込めることが大切です。


4:9には、

苦しみ、悲しみ、泣きなさい、とありますが、

これは裕福な人達に向けられた言葉です。

裕福で豊かである時に、困っている人の立場のことも考えなさい、という意味です。

裕福で豊かな環境にいると、それが当たり前になり、心の目が見えなくなります。

豊かな社会に慣れすぎて麻痺してしまいます。

心を麻痺させるものは、他にもあります。

アルコールやネットやギャンブル、宗教ですらそうです。中毒で麻痺して見えなくなります。

でもヤコブは、豊かさや様々なものに中毒になって見えていない人に言います。

困った人貧しい人達を見なさい、と。

自分の悲しみだけでなく、

周りの人達の悲しみにも寄り添いなさい、と。

マタイ5:4にあるように

「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭5:4‬ ‭JA1955‬‬

http://bible.com/81/mat.5.4.ja1955

そのような人達に

神様は目をとめてくださいます。

私達は麻痺するのではなく、謙遜するべきです。



7つの罪の中には、怠慢、もあります。

怠けることです。


ただ、悪いことをしていないだけではいけないです。

イエスは言います。

良いことをしてますか?と。


マタイ7:12も読みました。

「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭7:12‬ ‭JA1955‬‬

http://bible.com/81/mat.7.12.ja1955


ゆるされるよりゆるしましょう。

だから人からゆるされます。

与えられるより与えましょう

だから人から与えられるようになります。


キリスト者は、

最初の一歩を自分から踏み出す者です。


困った人を遠くから見てるだけ、ではなく、

手を差し伸べましょう。


神様は天国で私達をテレビを見るように見てるだけではなく、

イエスになって実際に見に、触れに、手を差し伸べに来られました。


まずイエスから来てくれました。


同じように、私達も小さなことで良いから、

一歩を踏み出しましょう。


神父様は、貧しい国であるフィリピンに赴任してから、食べ物の好き嫌いをなくしたそうです。

それまでは好き嫌いがあったそうですが、

貧しい国にいて食べ物を満足に得られない人のことを想うようになってからは、好き嫌いなく、なんでも食べるようになったそうです。


どんな小さなことでもいいから、

私達から一歩を踏み出して、

与えていきましょう。


今日は、以上のようなお話でした。


ただ悪いことをしない、だけでなく、

貧しい人や困った人を想い、なにか与えてみたり、自分から一歩を踏み出してみることを促された時間になりました。


私も小さなことで良いから、

自分の生活の中で、

困った人に思いやりをもったり、

なにか自分にもできる一歩を、

踏み出してみたいと思いました。