○○をしなければならない 強迫性障害 ~ 今を生きるために ~ | 生きる勇気と信じ続ける気持ち

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佐久間裕樹です。


さきほど 『 何かをしなければならないという 強迫観念 』 というメッセージが私の中で湧き上がってきたので 記事にしようと思います。


『 強迫観念 』 をインターネットで調べると 強迫神経症 ( 強迫性障害 ) という 精神疾患の症状がありました。


強迫神経症 ( 強迫性障害 )とは、社会的に支障をきたすほどの行為を自らしてしまうため、本人にとっては大変つらい病気です。


以下は wikipedia から抜粋した内容です。


強迫性障害とは 強迫観念と強迫行為からなる症状である。 その両方が存在しない場合は 強迫性障害とは診断されない。 強迫観念と強迫行為の症状は ストレスによって悪化する傾向にある。


強迫観念 (きょうはくかんねん) とは 本人の意志と無関係に頭に浮かぶ、不快感や不安感を生じさせる観念を指す。

強迫観念の内容の多くは普通の人にも見られるものだが、普通の人がそれを大して気にせずにいられるのに対し、強迫性障害の患者の場合は、これが強く感じられたり長く続くために強い苦痛を感じる。

ただし、単語や数字のようにそれ自体にはあまり意味の無いものが執ように浮かぶ場合もある。


強迫行為 (きょうはくこうい)とは 不快な存在である強迫観念を打ち消したり、振り払うための行為で、強迫観念同様に不合理なものだが、それをやめると不安や不快感が伴うためになかなか止めることができない。

その行動は患者や場合によって異なるが、いくつかに分類が可能で、周囲から見て全く理解不能な行動でも、患者自身には何らかの意味付けが生じている場合が多い。

強迫症状の内容には個人差があり、人間のもつ、ありとあらゆる心配事が要因となり得る。しかし、比較的よく見られる特徴的な症状があるため、これを以下に記す。これらの症状についても患者自身の対処の仕方は異なり、一人の患者が複数の強迫症状を持つことがある。



不潔強迫 (ふけつきょうはく)
潔癖症とも言われている。手の汚れが気になり、手や体などを何度も洗わないと気がすまない。体の汚れが気になるためにシャワー風呂に何度も入る等の症状。ただし、本人にとって不潔とされるものを触ることが強い苦痛となるため、逆に身体や居室に触れたり清掃することができずに、かえって不衛生な状態に発展する場合もある。


確認行為 (かくにんこうい)
確認強迫とも言う。外出や就寝の際に、家のガスの元栓、窓を閉めたか等が気になり、何度も戻ってきては執拗に確認する。電化製品のスイッチを切ったか度を越して気にするなど。


加害恐怖 (かがいきょうふ)
自分の不注意などによって他人に危害を加える事態を異常に恐れる。例えば、車の運転をしていて、気が付かないうちに人をひいてしまったのではないかと不安にさいなまれて確認に戻るなどの行為。赤ん坊を抱いている女性を見て、突如としてその子供をつかんで投げてしまったり、落としたりするのではないかというような、有り得ない行為をするのではないかという恐怖も含まれる。


被害恐怖 (ひがいきょうふ)
自分が自分自身に危害を加えること、あるいは自分以外のものによって自分に危害が及ぶことを異常に恐れる。例えば、自分で自分のを傷つけてしまうのではないかなどの不安にさいなまれ、鋭利的なものを異常に遠ざける行為など。


自殺恐怖 (じさつきょうふ)
自分が自殺してしまうのではないかと異常に恐れる。


疾病恐怖 (しっぺいきょうふ)
または疾病恐怖症など。自分が重大な病や、いわゆる不治の病などにかかってしまうのではないか、もしくは、かかってしまったのではないかと恐れるもの。HIVウイルスへの感染を心配し、血液などを異常に恐れたりするものも含まれる。


縁起恐怖 (えんぎきょうふ)
縁起強迫ともいう。自分が宗教的、もしくは社会的に不道徳な行いをしてしまうのではないか、もしくは、してしまったのではないかと恐れるもの。信仰の対象に対して冒涜的な事を考えたり、言ってしまうのではないかと恐れ、恥や罪悪の意識を持つ。例えば、神社仏閣や教会において不信心な事を考えてしまうのではないか、聖典などを毀損してしまうのではないか、というもの。ある特定の行為を行わないと病気や不幸などの悪い事柄が起きるという強迫観念にさいなまれる場合もあり、靴を履く時は右足から、などジンクスのような行動が極端になっているものも見られる。


不完全恐怖 (ふかんぜんきょうふ)
不完全強迫ともいう。物を秩序だって順序よく並べたり、対称性を保ったり、本人にとってきちんとした位置に収めないと気がすまず、うまくいかないと不安を感じるもの。例えば、家具や机の上にある物が自分の定めた特定の形になっていないと不安になり、これを常に確認したり直そうとする等の症状。物事を進めるにあたって、特定の順序を守らないと不安になり、うまくいかないと最初から何度もやり直したりするものもある。郵便物を出す際のあて先や、書類などに誤りがないかと執拗にとらわれる場合もあるため、結果として確認行為を繰り返す場合もある。


保存強迫 (ほぞんきょうふ)
自分が大切な物を誤って捨ててしまうのではないかという恐れから、不要品を家に貯めこんでしまうもの。本人は不要なものだとわかっている場合が大半のため、自分の行動の矛盾に思い悩む場合がある。ごみ屋敷など‥


数唱強迫 (すうしょうきょうふ)
不吉な数やこだわりの数があり、その数を避けたり、その回数を繰り返したりしてしまう。数字の4は「死」を連想するため、日常生活でこの数字に関連する事柄を避ける、などの行為。



この他、ささいであったり、つまらない事柄、気にしても仕方の無い事柄を自他共に認める状態にあっても、これにとらわれ ( 強迫観念 ) その苦痛を避けるために生活に支障が出るほど過度に確認や詮索を行う ( 強迫行為 ) 。


以上が wikipedia から抜粋した内容です。



このことは精神疾患の1つの症状ではありますが 生きていれば当たり前のことであり、誰でもその症状に何か思い当たる点はあると思います。 軽い症状なら 多くの人に該当すると思います。


私にもあります。 過去の私にあったのは 軽度の潔癖症で、いつも誰かにイジメられるんじゃないかという被害恐怖が10代のころありましたし、不安からモノを溜め込むクセもあり、19歳のころは食べ過ぎては嘔吐を繰り返す摂食障害で 現在の体重よりも10キロは痩せていました。


今思えば それがなければ、それをしていなければ 私自身 そのときを生きるのが困難だったのだと心から感じています。 周囲からの理解を得ることも大切ですが、自分自身を生きることで 精一杯だったんだと思います。

それ自体は、精神疾患の症状ではありますが 私からしたら 生きるためにしていたことですがら イコール 当たり前のことです。


例えば 自殺未遂やリストカットや○○依存症や摂食障害は 本人からしたら生きるためにしている本能(欲求)ですから それが当たり前のことでもあるんです。 

その行為や考え方を非難したり、腫れ物に触るような扱いやダメ人間の扱いや更生させようと無理矢理押さえつけることは 本人が生きることを否定してしまうことにもなるという事実を受け止めてください。


そして、自分以外の相手(子ども)に対して ヒステリックになったり、お節介行為で口やかましくなってしまう行動や言動には 裏を返せば 自分自身に対しての行動や言動だと認識することも必要です。


例えば ○○してはいけない! ○○をしなさい! ○○やりなさい! ○○はダメ! ○○は賛成できない! ○○はやめなさい! そんなことしてるから○○になる! などの言動はすべて自分自身にも規制をかけていることになります。

規制とは 特定の目的を実現するために 許可・認可・介入・手続き・禁止事項などのルールを設けて制限をしていることを意味します。


愛する相手(子ども)を心配するがゆえ 自分の意思に従わせようとする行為でもあります。 自分自身にそのつもりはなくても その行為や考え方は相手(子ども)がのびのび自由に生きる権利を奪ってしまうことにも なりかねないということを理解していただきたいと思います。


規制をすることで自分自身が何かを我慢していることも含まれますので 何に対して無理をしているのか? 何を我慢しているのか?を自分自身と向き合うことが必要になってきます。


あなたが自分自身と向き合って 自分自身をガンジガラメにしている鎖を知って 気づくことで 相手(子ども)は 今よりも もっと生きやすくなります。


今回 お伝えさせていただいた 『 強迫性障害 』 がある場合は、ストレスとともに悪化していきますので 悪化すると どんどん身動きがとれない状態になっていきます。 心の余裕や心のゆとりが乏しくなって 不安体質で生きていかなければならない苦しい現実が襲ってきます。 


その症状を理解ができない人からしたら 強迫観念や強迫行為 は神経質で気にし過ぎる症状だと感じられると思いますが、それは本人からしたら自覚がなくても 生きるための思考や行動ですので

それを強制的に止めたり 悪いものだと 自分自身や周囲が勝手に判断して ジャッジしてしまうと 生きることがさらにつらくなっていきます。


強迫性障害があっても 強迫観念や強迫行為があっても ダメな人間や最低な人間ではありません。  それはすべて自分自身が生きるための思考や行動です。


すべて無駄ではなく 今の自分自身にとって必要な思考や行動です。


その思考や行動が過度になっていくと 人間として生きていることが苦しくなってしまうのは当然のことです。


何かにこだわりすぎたり、細かいことを気にしすぎたり、何かの完璧や達成を求めるがゆえに 周囲の状況や人間関係にまでにも 自分の意識を注ぎこんで コントロールしようとしてしまいます。


周囲の状況や人間関係に対して 自分の意識を注ぎ込んで 自分の思い通りに コントロールしようとしても すべてできるものではありません。


自分の意識と自分の無意識の部分が混同して 自己防衛が働き ( 自分を守るために ) 結局は 自分の本能(欲求)に コントロールされている状態になっていきます。


その状態が続くと 四六時中 不安で イッパイ イッパイ です。 心の疲れも 体の疲れもとれずに いつも イッパイ イッパイ です。


それは 1人で何役もこなしている高度な精神状態ですので 普通にできることができなくなったり、今までできていたことにゆとりや余裕もなくなっていきます。 日常生活の動作や家事全般や常識的な当たり前のことにも 制限されていきます。


1人で何役もこなしている高度な精神状態とは 人格障害 の症状でもあります。


周囲(他人)の力で 自分の行動や思考を止める ことよりも 最終的には 自分の力で自分の行動や思考を止めようとしてしまいます。 ( 自殺 )



自殺を選択してしまう前に 対応していく1つとしては

今までの思考や行動の裏側には 『 自分自身への愛情がある 』 という真実に 気づくことが一番 大切だと私は思います。


そして、周囲の状況や人間関係を自分の思い通りにコントロールしようとせずに ( 自覚がなくても ) 自分自身の内側の部分と外側の部分を知って 自分自身の本能(欲求)をコントロールしていくことが いつも必要です。


そのためには 以前のブログ記事も参考にしながら 心がけてみてください。


記事 ① → http://ameblo.jp/raphael1026/entry-10795459585.html

記事 ② → http://ameblo.jp/raphael1026/entry-10795460162.html



今の自分が すべて明日の自分につながります。 なりたい未来の自分につながっています。


今を生き抜いてこそ 明日を生きる力に変えられます!


今の自分を受け止めてこそ 明日の自分が生きやすくなります!





佐久間裕樹