同時にカトリック広阪教会で洗礼を授かったY君が、その後ほどなく結婚した際に
 
祝辞に聖公会の教会の祝辞に冒頭のようなはなむけのことばがあったのを思い出した。
 
 
麻姑(まこ)の手 はちょっぴり、かなり、ひどく恐怖を覚える中国伝説
 
それに比べて、いわゆる孫の手のなんとも ホノボノ 感のする逸品だろう!
 
さらにも増して、おたがい背中を掻いてくれる相手が老夫婦ならなお仲むつまじい姿であろう!
 
 
自分で、掻くのは恥だけで結構! と仰らず、まあ背中なり足の裏表なり描いて・・・、もとい掻きあう
 
こともときおり思い出してみましょうや。 べつに夫婦じゃなくったって良いじゃん! 
 
耳も頭も 背中も 気軽に 描いて上げよう 消毒など あとで うがい薬でしときゃ 良いじゃん!
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麻姑(まこ)の手    は、いかにも爪が喰い込んでそうでして、おいそれとは仙女に背中を
 
痒いのでかいとくれ! とは云えぬが・・・・
 
        こんなナツカシイ 懐メロなら  まあいいだろう♪
 
水原 弘 / 女の爪あと の歌詞
  作詞: 西沢葵
  作曲: 猪俣公章
 
 
 
別れないでと泣く声が 俺の背中に突き刺さる・・・・・・   だって。
 
 
突き刺さる前に とっとと 消えりゃいいものを  馬鹿ですねぇ オトコって♪  マコでもミコでもいいけれど
 
 
 
 
聖書の中で「悔い改める」という言葉は、単に後悔して反省するということではない。
新旧の聖書を比較すると、「悔い改める」という言葉の使用回数が新約で増えている。
これはイエスが「悔い改める」を「神のもとに立ち返る」という本来の意味に加え、
「福音を信じよ」という意味も含め多用していると解釈できる。
 
と書かれているのは、こころの時代(教育TV)の雨宮さんのおはなしのかいつまんだ内容。
 
 
 
 
 
 
背中は過去 お腹は未来に向かっている・・・・・
 
背中を掻く のは 過去に 残した 未練な感覚のかゆみか? 垢がこびりついたか 虫刺され漆のかぶれ?
 
垢すりでごしごしやりすぎたためか 女の爪あとではないことがわかれば みっともなくも味気ない。
 
かもしれない  イボころりは 使うべきか否か それは どっちでも構わない 特段、命に別状はないし
 
果たして、この足跡は どっちに行こうとした跡か? なんて黙想してみるのも面白い。
 
白い砂 赤茶けた砂 黒い砂 青い空 砂は珊瑚かもしれないし 石英か ガラスなのか はたまた砂鉄???