


約30年前の同時期に長野駅前のお土産屋で買ったコーヒー茶碗も現役でマイカップに使っている。
リンゴの木の灰の釉薬で緑の乳白色がやさしい光沢につつまれて、この人形に近い肌触りです。
納棺夫日記の作者 青木新門 さんの講話ビデオを昨日観た。映画おくりびとも本も既に観たり読んだり
はしていたが、改めて 命のバトンタッチ について考えさせられた。作家の新門さんは富山県の
浄土真宗が深く民衆に浸透した土地柄の方です。私の郷里のお寺にも何度も来られてるらしい。
西洋的な思想には本に書かれてるところどころにはやや批判的ではあるけれど、命の終わりに深く
関わるお仕事をされて「光」を見いだされた人であります。
明日は第二主日です。カトリックで洗礼を授かって35年。つい実家にいたころの18年に染みついた
仏教の教えとつい比較してしまうのは自然といえば自然なことかも。来年 華甲かこう 還暦とも謂う
の志門(雅名) こと ラファエル(洗礼名)パウロ(堅信名)です。