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ビロードより緻密で硬く滑らかな表面の藤の鞘が撓わに下がってる。
鞘を一つ頂戴してみたんだけれども、手触り抜群なこれはボールペン
の軸にでも利用可能だ。しかし、そうしたら種が壊れちゃいますね!
そっとそのままでもぎ離したりせずに眺め回すだけで我慢すれば
良かったんだね。




藤の種 というショート・ストーリーがあった。

http://syosetu.com/pc/main.php?m=r-N4507C&kmode=1&m2=1900-b-h-


 そのままで、まだ大量にぶらさがっている藤の実の弾ける頃に、また訪ねてみようと
 思う。 あちこちに、藤棚はあるけど 思い出の藤棚ってあるかも知れませんね、人
 それぞれに。 小学校低学年の頃、学校の中庭に古い藤棚があって傍に二宮金次郎像
 がありました。たしか一年生の頃だったろうか、女の生徒と先生とママゴト遊びの
 真っ最中、その上の藤棚伝いに跨いで覗いてるうちに落下して、遊んでいた現場を
 散乱させて大顰蹙で、とくに女教師から迷惑だと叱られた・・・・そんなどうでも
 いいよな事を、藤の実から思い出してしまった。やがて耳順(じじゅん)つまり60
 の還暦だというのに・・・・。妙に新鮮ないまだ残る記憶だ。


じじゅん耳順 

 『論語 〔為政第二〕』の意味

孔子は言います。

私は、十五の時に学問で身を立てようと決心しました。

三十の時に、学問などの基礎がきちっとして、独り立ちができるようになりました。

四十の時に、狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなりました。

五十の時に、天が自分自身に与えた使命を自覚しました。

六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができるようになりました。

七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなりました。

と。



昨日、すっかり忘れていた同窓会の会費をようやく振り込む。幹事のひとり
から督促の電話があるまで、コロッと失念しておりました。

もうあと同窓会のある正月まで3か月なんですよねえ。