
昨晩は旧暦の七夕でしたので・・
こんな話題を…
七夕とは七月七日の夕方の意味で、なぬかのよと呼んでいたのが転じたといわれ
ています。
七夕行事は、中国に古くから伝わる牽牛・織女星の伝説と、それから発達した
きっこうでん(乞巧奠)の行事に、日本古来の棚機津女の信仰が混ざり合って形成
されたものです。
棚機津女とは 人里離れた水辺の機屋で、降臨する神に侍る神子で、翌日村人は禊を
行ない、神に穢れを持ち去ってもらうと信じられていました。
中国では、牽牛星は農業の時期を知る目安として、また織女星は養蚕等の仕事を司る
という信仰があり、年に一回の出会いが語られ、逢瀬に波立つことがないようにと祈った
ものです。
この信仰が発達して乞巧奠となりますが、乞巧とは技巧の上達を願うことで、奠は祭り
を意味します。唐の玄宗皇帝のころ盛んに行なわれた行事で、「巧を之に乞えばその願い
を得る」と女性は皆裁縫の上達を祈りました。
過去に幾度も記したのですが、実父は四女のあとに生まれた末っ子の長男です。
良心は、違う!両親を幼くして亡くなったようなので、姉達が親代わりだった。健在であらせられる?
お方は、第三女の百合子叔母さんと実父だけになってしまってはいますが、
そんなわけで息子の私の立場
からみても父の風貌しぐさか男らしいというより女性っぽいという印象は拭えません。
茶道や華道や謡曲も素人ながらかなり上手であります。
悪くはないけど、ちょっと
他の親父連中よりは異質です。和裁の仕立て屋を近年まで現役でこなしてました。
今でこそ和服は高級なファッションですが、そのうち廃れるものと確信?した私目は
とうとう職人を引き継ごうとはしませんでした。
とはいえ、針仕事はしますよ最低限度。ボタン付けズボンのすそ直しはDIYだね。
妻は洋裁の元教師だっちゅうのに・・・・・プンプン。
と自慢手前味噌として、この話題は置いておこう。
幼い頃のこの年中行事 七夕は新暦でありました。町外れの旅川という小矢部川より手前の
川へ町の七夕飾りをそれぞれ肩に担いだ親が子供を連れて、提灯には蝋燭を点してゾロゾロ行列し
てゆき、そして旅川へ橋の上から火をつけて燃やし半ば燃え尽きそうな直前に川へ流した。
今は、公害やら環境問題でそんなことをしてる場合ではないので、その行事はとっくに廃れて
しまっています。母方の爺さんが笹をたくさん切ってもってきて我が家で売ってた事もある。
なにしろ田舎の駄菓子屋日用品屋を細々と母が営んでおり、父は家の奥でといっても小さな狭い
ちょうど庭先の見えるとこで裁縫の仕事をしていた。習いにくる娘さんも数人そこに座っては
何がしかを縫っていたものです。
父は既製品の七夕飾りには飽き足らず、家で売っている包装紙や色紙の大きいのでなにやら面白い
切り紙細工を近所から頼まれては製作していた。自家用にも何度かこしらえてくれていた。
思えば父が30代後半の頃であっただろうと懐かしい気持ちになるこの頃なわけです。