

お客様、僕(しもべ)のもとを通り過ぎないでください
(第一朗読主題句 創生記1・3)
神が二人の天使を伴ってアブラハムを訪ね もてなされる
世の初めから隠されていた秘められた計画が、今や聖なる者たちに明らかにされた
(第二朗読 コロサイ1・24-28)
ルカによる福音 (司祭のご説教の前に読まれる)
イエスがラザロの家に迎えられマルタとマリアの対応の違いについて記述されている箇所
マリアは良いほうを選んだ。静かにイエスの言葉に耳を傾けた・・・・
マルタは接待のためにご馳走やなんだかんだで 多くの事に思い悩んでいる・・・
そして共同祈願
前半はこんな風に今朝も、ミサは日本国中でとりおこなわれています。
集会祈願 奉納祈願 聖体拝領 ・・・で静かに30~40分で終わります。
最近は鐘楼のミサを知らせるカネつきにも慣れ
壮年仲間も徐々に鐘を鳴らすメンバーが増えてきて楽しい。
ノートルダムのお告げの鐘 みたい大きくはないけど 5個の鐘の音色はとても綺麗です・
以上 今朝の一コマから。
以下 所かわって日々のいつもの生活の日記スタイルです。
怖いものの代名詞が私の場合頻繁に出す「饅頭と熱ぅーいお茶」という
小話もどきのつまんない前置きは、置いといて。
住むのが人間 棲むのが生き物 スマンで済まないのが過ち。
万もある病はどこから やってくるのか?
その正体はどれもありそな尤もそうなことばかり・・・・世の先生方は仰るわけですね。
風邪は万病の素
肥満は万病の素
ストレスは
疲れは
活性酸素は
冷えは
そうそう、タバコは万病の素 まるで健康の大敵 毒キノコ扱いでっせ近頃は
コンビ二の、おにぎりなどよりかなり肩身が狭い(・・・・なんのこっちゃ?)
病気に名前を付けようものなら、そりゃ個人個人違うんだから万どころか 億 兆 京 ・・・
などというとりとめも無い屁理屈になるかもね。
癒し系にその治療方を探す・・笑い 旅に出る 薬 音楽 景色 花 美術品 書物 お説教?
ブログ 酒 博打 そしてオンナ など等 どれも決定的な万能薬はない 原因不明だからだ
(例:リューマチ 膠原病 その他難病の数々・・・
骨髄性白血病や重症再生不良性貧血、免疫不全症、先天性代謝異常症など もっと知らないのも多数ある。)
ところで、生活習慣病という名称もなんだかねぇ・・・。衣食住 生活スタイルがいい年こいた大人に、
どうこう改善しろよと高いところから指導されましても。いやそれを実感として受け止めなきゃ
死んでも治らないとなるのかも知れません。
宗教 これはご利益信仰と申すものは一切 当てにしません 奇跡 あるかも知れません
頼りになるのは己ひとりだけ これもひとつの結論と言うには寂しい。むなしい。
昔の人は ○○は死ななきゃ治らない とかヒドイ病の人を前に
お医者様でも草津の湯でも○○の病はなおりゃせぬ♪
などとのたまうのが常であった。 不老長寿の薬は金輪際、出来っこない、医者が失業するから。
難しい方程式はいらない。 くよくよ心配しなくても良い。 死ぬまで必ず命はあるのだから。
世のため人のために貢献し誠実に生き ときどきは反省し 全てに感謝すれば
万病もまた楽しい!
ただし、心身に痛みがなけりゃの話だけど。
病の渦中にあるひとに慰めはなにか?じゃなく万病の素って何なのさ?
がテーマであるが、結局しょうもない落ちのない合点できない話だといううやむやな事だと
悟った気分になったのね。
諦めない。希望を捨てない。 強く信じて生きなきゃ。一人称二人称をはっきり意識して。)
やたらと卑下せず 遠慮せず 互いに尊敬し わけ解らぬボヤキを叫ぶことは謹んで、次に
神は愛である と言ってみよう! なにしろ万行の素もその対策もはっきりはしないけど、
神のことばは私たちのいのちの支え、顧みてくださる神だ。
主キリストは仰せになる。「私は戸口に立って叩く。私の声を聴き、戸を開くなら、
私は中に入って、その人と食事を共にする。」
信頼を自己に置くのも祈ることもいいのだけど 神を知ることが先ず大事である。
明日から教会の司祭館が老朽化のため取り壊しになる。新築したらエレベータも設置される。
次週からは駐車スペースが半減するのでマイカー利用は自粛しバスで教会へ行くことにします。