
それはそうと、本来の七五三は明治頃からあるいは、古の平安時代からの子供の成長を氏神様に祈ることから既にあったとか・・・・日にちも11/15でこだわるでもなく男女の年齢ももっと違うという説もある。
色々沢山の祝日があるのはカトリック教会ではカレンダー見れば一目瞭然で、ともかくなんだかんだと
多いのだ。そして今日はミサの中で子供たちの七五三の祝別もございました。結構教会は和風の風習を
取り入れている。敬老の日や成人の日なども・・・だからというわけでもないが、日本教という風な
我が国らしい宗教に関するおおらかさ、ある意味無節操ともおもえる柔軟性がある・・・御幣、もとい それを言うなら語弊があるかも。七五三の衣装に凝った親子も目立つ。記念写真のフラッシュも眩しい
輝かしい朝のミサであった。
くだんの子供たちへのプレゼントは千歳飴である。デザインが素敵な幼子を抱くマリア像の細長い袋で
あります。そりゃそうだろう、鳥居の絵柄をそっくり真似たのではサマにいならない・・・形式張るわけ
ではないが、飴はやっぱりご褒美としては持たせて似合う絵になる。長いミサの中よく我慢したねっ!と褒めてやるべき、参列者としてやっぱり次代を担うこの子供たちは宝でありますね。
福音のテーマ、ご説教の中身は七五三である・・・ウソウソ・そんな筈はなく、お賽銭箱になけなしのコイン2個を入れた、やもめの女のことであった。この女性が最も多く神に喜ばれるささげモノしたという有名な何度も聞いたし読んだ内容だが、いつも新しい感動が伴うと想いました。献金袋に入れる金額は決まってはいないのだが・・・・・お金の感覚は人それぞれかなり違う。ささげるのは無論、祈りであってお金だけというのではないが、時間や労力や場所や思いやる心や唄や言葉であるのだけど。宗教にお金がまつわるのは、宗教嫌い無信仰と言ってはばからない人の良く使う言い分で、一度は考えずにはおれないことではある。維持費と献金とは心次第である。あるときの5円は500や5000円の価値あるものとなる。一般経済感覚とは似てるけれど、分かち合う手段としてのお金であり、価値観が微妙に違う。単位が円かドルかユーロという話ではないし、所得に応じた税金感覚なのでもない。
子供には飴。がやはり平和な印だ。長閑な秋日和の中、来る冬は近く、ニュースに学童苛めや自殺のことが絶えず今日もある。