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一行即一切行。ひとつの実践がそのまま一切の実践となる。   ...

バラ園で名残惜しんでシャッター切っていると、傍らを駆け足のように散策してく夫婦連れ

が『大したこと無かったねぇ~』と一言つぶやき通り過ぎる。

おや?と、一瞬たじろいだが。花の事かはたまたまったく別の話題の一コマなのか気にするで

もなく耳に残った。バラならまだ見ごたえ十分だし、もし誰かの病状であればそれまた結構な事だ。

どうゆう文体かで人の気持ち判るというけど、ほんの空耳のような一言もこりゃ何だ???である。

気にしないでおくが・・・・・。


  人には、約束の地が有ります。

諸聖人の祝日の次が死者のための、そして昨日は野田山の新墓地にてミサがありました。

ミサの後にロザリオの祈りを唱える中を、聖水をかけながら二人の神父さまは墓地を一巡り。

逆光の中に浮かびでた姿は純白の祭服着ておられたので天使のように写ってしまったぁ~。

大勢の参列者が年に一度集うこの場所の谷の向こうには、若くして世を去った

妻の従兄弟のお墓もある。山を降りた室生犀星のお墓の近くには91で天寿を全うし亡くなった

義父のお墓もあり。市民の大半はこの野田山に骨を埋めている。

熊が出没するのでお花は良いのだが、お供えの食物は置き去りにするのは禁じられている。

そう遠くない未来にあの世に旅たつであろうことを、改めて人は墓地に参って想う。

沢山群れて咲くバラ園もいいが、ひっそりその中で可憐に咲く花も見ごたえがある。

お墓に供える花はいつかは枯れてしまうが、見る人が見れば心に残ります。ひょっとして

熊も狸も狐も・・・・。お江戸の火消しはあの世でも野狐三次は木っ端売りしてたり・・・。


約束の地、天国では品種や大きさは関係なく、見られるためではなくただひたすらに香り、光に包まれて

いつまでも枯れず朽ちることなく咲き誇っていることでしょう。

地上で眺めると、朝露に濡れた春咲くバラと秋のバラでは心のありようで違って観える。

フィルムにおさめた数枚は電池が切れたので、上手く撮れたか現像してみないと判らない。

墓地とここに載せた画像は携帯電話で写したので適度にぼやけてて、これも捨てがたく自画自賛。