




皺(しわ)がよる 黒子(ほくろ)ができる
腰曲がる 頭はげる ひげ白くなる
手は震う 足はよろつく 歯は抜ける
耳は聞こえず 目は疎(うと)くなる
身に添うは 頭巾襟巻 杖眼鏡
たんぽ温石 尿瓶(しびん) 孫の手
聞きたがる 死にともながる 淋しがる
心は曲がる 欲深くなる
くどくなる 気短くなる 愚痴になる
出しゃばりたがる 世話焼きたがる
またしても 同じ話に 子を褒める
達者自慢に 人は嫌がる
仙厓義梵(せんがいぎぼん)は、江戸時代後期の臨済宗妙心寺派の禅僧です。
寛延3年(1750)、美濃国武儀郡の井藤甚八の子として生まれました。
宝暦10年(1760)に美濃清泰寺の僧侶となり、明和5年(1768)に武蔵東輝庵の
月船禅彗に師事しました。そして、寛政元年(1789)から文化8年(1811)に至る
22年間を筑前博多聖福寺の第123世住持としてすごし、天保8年(1837)に88歳の
生涯を閉じました。
仙厓和尚は多くの絵画を遺したことで有名です。
写真はそんな老人臭さを吹き飛ばすかのような。アシタバとドクダミとラナンキュラスなどの投げ入れ
そして彼の和尚さんの筆による力強い絵です。
そうそう、実家にはドクダミもシュウカイドウもユキノシタもオダマキも生えていて柿の木のマユガの
中からシナンタロウが出てきて突っついては遊び。またヒシバッタもトカゲも仰山生息しておりました。
和尚の絵は下手上手い。(失礼かな?)
猫ではなく。おそらく母が姉や私を産み落とした時におそらく
枕元にあった衝立屏風には虎と龍の絵が描かれてあったのです。
今思えば、何でも鑑定団に出せるような絵であったけど
紛れも無く複製で、とてつもなく年代物のボロボロの絵であったが子供心にも、何故か怖いというより
面白い凄い絵だと常々思っておりました。年賀状のモデルに辰もトラも大変役立ち重宝してたけどとっく
の昔に廃棄処分したことでありましょう。ひょっとして物持ちのいい我が親爺だから屋根裏にしまい
込んでるかもしれないのですが・・・。親爺もとうとう仙崖和尚と同じく88で米寿だな来年は。
人生五十年の戦国時代と比べりゃ、88歳まで生きておられた和尚さまは随分と長生きであったので、
こんな老人六歌仙
歌にまでして楽しむ余裕があったのでありましょう。
丁度亡くなる年にコカコーラの生みの親である某アメリカ人は誕生している。
遠い昔といえば昔だけど・・・・・・。
歌の全てか僅かにでも該当すると思う方は私だけではあるまい。が、真の青春は歳とは関係ないのだよ。