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「鶏口牛後」この言葉の意味は「寄らば大樹の陰」の反対と思えばいい。つまり、
「大きな組織の一員として働くよりは、むしろ独立した小さな組織の長である方が
好いのじゃなかろうか?」ということだ。

おっきいことは良いことだ。の時代を経てきた世代にはスモールとかシンプルとかの
選択肢のあることを示唆してくれる諺なのだけど、その言いだしっぺは蘇秦という人。

 ・大企業の一社員として働くよりも、企業家として小さな会社を経営する。
その後の蘇秦の人生をものの本によれば…。
                  


中国の戦国時代、秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙の7つの強国が覇を争っていた。
最強国は秦で、他の六国は秦と同盟するか戦うかが国の存亡の大選択であった。
蘇秦は遊説家で、最初秦に他の六国と同盟を結ぶ連衡策を説くが、外国人排斥
意識の強かった秦には採用されなかった。そこで、燕へ行き、連衡策とは正反
対の合従策を説く。国への忠誠心も、戦いに苦しむ民衆への思いもなく、ただ
己の出世のために口先だけで策謀を巡らす。燕王はその策を採用し、趙へ遣わ
す。趙王も説得に成功し、ついに六国の宰相になる。その時に使ったのが
「鶏口牛後」の諺である。
小国の国王の自尊心をうまくくすぐった弁舌であった。国への忠誠とか民衆へ
の救済という社会的な使命感はなく、自分の利益と保身のために、巧みな弁舌
を弄するだけの策謀家である。

蘇秦は6国の宰相になり、天下を統一して、皇帝になるという野望を持っている。

 口先だけで時代を生きる蘇秦の生き方の結末はと言うと、


  ・6国の宰相を兼任する。
 ・故郷に帰ると、妻や家族が手のひらを返したように金持ちになった蘇秦を手厚くもてなす。
 ・鬼谷先生の弟子であるライバルの張儀の策謀で、秦が斉と魏を欺き、趙を討たせた。
 ・蘇秦は趙王に責められ、燕へ逃げる。
 ・燕の王の母(初老の老女)と密通し、斉に亡命する。
 ・そこで張儀の差し向けた刺客に暗殺される。 


ところで、知ったかぶりをする謙遜しない人を、『あんたは牛のオケツやね~』という

 その心は モーの尻 である。物知り!とは皮肉な落ちで、

この場合、褒め言葉ではない。