陳述書の続きです。


ここからは、息子が亡くなった後の話なので、

全体公開で載せます。


更新の頻度がバラバラかつ、

放置気味で申し訳ないです。


参考までに

興味のある方はお読みください。



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8.     柊が亡くなった後


 (息子が搬送され)病院で

死亡宣告を受けた後、


ファミリールームに案内され、

ソファベッドで横になるように促された。



柊が亡くなる少し前に私の父母、妹が来て、

亡くなった後に夫の父母、妹が来てくれた。


この時、


私は柊が死んだことは

全て自分の責任であるという思いしか持てず、


何てことをしてしまったのか、


家族に合わせる顔がない、


自分のせいでみんなが泣き崩れていると思って、


家族の顔を見ることができなかった。



家族が集まったところで、


柊の死因について

数名の小児科の先生が同席して説明を受けた。


死因は

帽状腱膜下血腫からの出血性ショック

と聞かされた。



「はっきりした原因を突き止めるのに、

解剖することも可能です」


と言われたが、


柊を亡くしたばかりの私は、


人工呼吸器をつけられ、

手の甲から点滴を入れられ、

ありとあらゆるところから痛々しい姿を見て、


痛くて辛い思いをさせた柊に申し訳なく、

ただただ罪悪感しかなかったのに、


これ以上柊を傷つけることなど到底できず、


「解剖は嫌」


と感情的に泣き叫んだ。



父から


「今後のこともあるからとCT等だけでもさせてほしい」


と言われ、泣く泣く了承をした。

 


 どうしても柊を家につれて帰りたくて、

私も一緒に帰りたかったので、

産科の先生にも無理を言って

帰宅することを選んだ。



(搬送先の)病院からは私が柊を抱っこして、

車いすを押してもらって、

裏口から帰ることとなった。


たくさんの病院スタッフに見送られ、

親切に対応してもらったが、


生きた柊と正面玄関から堂々と帰られず、

裏口からひっそりと帰ることとなった。



柊を自宅に連れて帰り、

柊用に用意していたベビー布団を敷いて、

そこに寝かせた。



しばらくベビー布団に寝かせたものの、


ずっと傍にいてほしかったので、

夫と私の布団の間に寝かして、

私も横になりながら


柊を見て、

触って、

抱きしめて、

涙を流し続けた。


他の家族がお別れするために

色々と手続きや用意をしてくれたので、

私が一番柊の傍にいることができた。