今、ふと思い出したことを書こうと思います。



裁判を始める前、


弁護士に相談に行ったのが、

こどもが亡くなって、

初めての月命日の日でした。


2017年11月20日生まれ

2017年11月21日死亡


2017年12月21日 東京の弁護士(依頼した弁護士)

2017年12月25日 京都の弁護士


2017年12月27日 ドクターカーで搬送してくれた病院

2017年12月27日 搬送先の亡くなった病院


へ訪ねています。



初めての月命日から約1週間の間に、

これだけの場所に出向き、


息子の死について向き合いました。



病院に行った理由は、


息子が搬送された時の様子と

死亡に至るまでの経過を

聞きたかったからです。



亡くなった病院では、

亡くなった日に、

小児科の部長、担当医、ほかの医師、看護師、

たくさんの方が来てくださり、


この先の事があるから、

解剖をするかCTをとるか

した方がいいと勧めてくださりました。


医師たちはもちろん何も言いません。


産科医を批判することはないですが、

あの時、はっきりと


“今後のことがあるから”


と言いました。



そして、死亡に至るまでの経過と

死亡の理由を説明してくださりました。



でも、私は正直、12時間以内に出産して、

大量に出血して、

目の前でこどもを看取ったところだったので、


それどころではないと言いますか、

話を聞ける状態でもなく、


小児科の先生は、


『後日でもいいし、何回でも時間を取るので、納得するまで聞きたいことは聞いてください』


とおっしゃってくださりました。



出産した病院は、

検診で通っている時は

何も感じなかったのですが、


入院してはじめて、

あのクリニックのおかしさを

感じていました。



入院したのが日曜日の朝で

医師が不在で、

一度も診察がなく、

点滴で陣痛を止められたこと。



朝になり、医師が来たと思えば、

外来に行って帰って来ず、


昼に無痛分娩を開始したときに来ただけ。



その後、医師も助産師もあまり来ませんでした。



無痛分娩って痛みが感じにくくなるので

患者をほっとけるんですよね。



そして、他の分娩に行ってしまい、

1時間以上、医師にも助産師にも

放置されました。



その時から不信感はあったけれど、


無事に産まれたと思っていたから、


そんなことは吹っ飛んで、

本当に世界で一番幸せ者だと、

人生で一番幸せな瞬間を味わっていました。



話はそれましたが、


亡くなってすぐから、

元々抱いていたクリニックへの不信感が

もっともっお大きくなって、


うちの子は見殺しにされたんじゃないか


そう言う思いで、

弁護士に相談する資料を

火葬から1週間以内で作り上げ、


資料を弁護士に送ってから相談に行き、


こどもを搬送してくれた病院と

搬送先の病院に出向いて、

こどもに起きたことと向き合いました。



いま振り返ると、


何であんなことができたのか。


今の私なら絶対無理と思うほど、

過酷な日々だったと思います。


でも頭の中は、


息子に会いたい。

死んで会えるなら今すぐ死にたい。

何で私が生きていて息子が死んだのか。

私が死にたかった。


真剣にそう思っていました。



だからこそ、

死にたいって思ってたからか、

人生に絶望しかなかったからか、


自分がしんどい、

負担、

傷つくとわかっていても

やるしかないし、

やりたかったし、

やれたのだと思います。



それくらいの精神状態で、

もちろんまともに眠れてなかったです。



結局何が言いたかったと言うと、


搬送先の病院で

私が小児科の先生に聞いたことを思い出しました。



『息子は苦しんだのでしょうか?痛かったですか?』


と聞いた時に、先生は、正直に、


『赤ちゃんでも針を刺したりしたら痛そうにします。

それと同じで、息子さんも痛かったし、苦しかったと思います』


と言われました。



それを聞いた時の感情。


気が狂いそうでした。



私は本当になんて事を息子にしたのかと。


自分が選択した先のこの結果。


自分を恨んでも恨みきれない。

本当に浅はかで無知で愚かだと

生きているのも恥ずかしくて、


何より、大切な息子を苦しんだ末に

殺してしまったことが



私がこの先も生きていく上で、

大きな十字架として抱えていく罪だと

思っています。