天使ママあるあるって

あるのかなと思って、


私的に感じる

天使ママあるあるを1つ書こうと思います。




『ほんまやったら◯◯やったのに』


(生まれも育ちも大阪なもので、

関西弁でごめんなさい)



という考えや思い。



それが、ちょいちょい、いまだに出てきます。




今朝も、

今日は、私が午前中、出張のため、

いつもより出勤が遅めで良かったので、


保育園への送りを

夫のかわりに行ってきました。



そこで、

普段見えないのですが、

遅刻していっているのもあって、

同じフロアの5歳児クラスが

見えたのです。



お歌を歌っているところだったのですが、

すかさず脳裏に浮かんだのが、



長男が生きていたら、

あそこにいたのに



という思いでした。



いまだに息子と同じ学年の子どもを

動揺せずに直視する事ができません。


逃げたり誤魔化したりはしなくなりましたが、

こころの中のざわざわや、

胸の動悸は、

自然と出てきます。


笑顔で対応もできるけど、

一人になった時のダメージは

まぁまぁきついものがあります。



6歳になった息子が、

どんな風に成長しているのか、

知りたいようで知りたくないのです。



それと向き合ってしまうと、

息子は生まれたてのまま成長していないし、

永遠に成長しないことを


真正面に受け止めないといけないから。



ある意味、今だに現実逃避をして、

自分のこころを守っています。




朝から5歳児クラスを眺めて、

悲しくも複雑な気持ちになってしまいました。


元気いっぱい、

大きな声で歌っていて、


次男のクラスとは

また全然雰囲気が違いました。


長男も生きていたら、

あんな感じでお兄ちゃんを

してくれていたんでしょうね。



また、別のエピソードですが、

昨日は、夫の誕生日で、


家族みんなでお祝いをしました。



次男と長女が、

長男の写真を取り合うほど



『しゅう兄はこっち』



とケンカを始めていました。



ほんまやったら長男もいたのに



ってどうしても思ってしまいます。



家族5人で夫の誕生日をお祝いしているし、

ケーキにローソクをたてて、

誕生日ソングをこどもたちが大きな声で歌って、

みんなでローソクの火を消す。



幸せには間違いないんです。


何なら私の人生は、

贅沢でもったいないくらい。


それくらい恵まれているはずなのに。



でも、何かが足りない。



柊がいないから。



その事を、

色々な場面で思い知らされることがあって、


その事が、

いつもこころのどこかに隙間を作り出します。




天使ママさんあるあるか

わからないですが、



私は、


『ほんまやったら◯◯やったのに』



っていう感情が

子どもを亡くした瞬間から

付きまとうようになりました。




※普段、長男の名前を出さないでブログを書いていますが、調べたらすぐにわかるので、今日は名前を出してみました。


こどもたちは、お兄ちゃんのことを


しゅう兄

しゅう兄ちゃん


と、いつのまにか呼んでくれています。