赤薔薇新生児死を経験して3週間ちょっとたちました。
今回は息子の写真をあげたいと思いアメンバー限定にしました。
死後の写真も混じっていますのでご注意下さい。
息子の生きた証しを見ていただければ嬉しいです。


電球きちんと中身を確認せずにアメーバ限定を外してしまいました。
息子の死後の写真だけ削除しました。
申し訳ありませんでした。
(R5.1.30)

風船風船風船風船風船風船風船風船風船風船風船風船風船


息子の写真を少しずつ見られるようになりました。
携帯だけですが・・・
私のデジカメはまだ見れていません。
一眼レフは眠れないときに1度見ました。

私のデジカメにしか生きてるときの写真はありません。
私の携帯には死後のものしか入っていません。
そのため、他の家族からもらいました。

息子が11時間だけでも生きてくれた証を誰かに見てもらいたくて、写真をあげようと思いました。

もう亡くなっているので、顔も隠さず、
自慢の息子をみてもらいたいです。

リアルな生活では、生きてるときの写真を見せられても、亡くなった後の写真は見せられないと思うから・・・

でも生きてるときの写真はほとんどありません。


息子は、私から産まれたとはとても思えないくらいかわいくて、かわいくて、
かっこよくて、しっかりした顔で、
髪もふさふさで、爪もしっかりはえて、 
かわいい、かわいい、ぷにぷにした手をして、かわいいあんよで、指も長くて・・・

とにかく、とってもかわいかった。

息子は確実に私の中で大きく成長してくれていました。

281日間、どんな顔をしているんやろうと
楽しみに楽しみにしてきました。

やっと会えたとき。
泣き声を聞いたとき。

感動で泣くということはなかったけど、
不思議な感覚、
「うわーかわいい、かわいい、かわいい」
って何回も連呼しました。

でも私も産後の状態が悪く、
その後、ほぼ意識を失い、嘔吐し、寒さに震えました。

出血が1300あったらしいので、当たり前ですね。
 
元気に泣いてくれたのに、
私の体力が消耗しすぎて、
触ることも、抱くこともできなかった。

それが大きな大きな後悔です。

思いっきり生きてるときに抱きしめてあげたかった。

息子は新生児室でほっとかれ、
助産師が急変に気づいた後も
医師に診察されることもなく
保育器に入れられただけでほっとかれた。


もっと早く搬送されていたら・・・
何で気づいてあげられなかったのか。
確かに産まれたとき、周りの子に比べて泣き声が弱かったように思う。
頭もぶよぶよやった。

助産師さんに産後に意識が戻ったとき、

「息子は元気にしてますか?」と尋ねたら、

「元気です。まずはお母さんが体力を回復させないと」
と言ったのに。

何であの病院を選んでしまったのか。
全て私がくだした選択だった。
息子を守り、救うのが母親なのに、
私じゃなく息子が犠牲になった。

私のせいじゃないってみんな言ってくれるけど、

あの病院を選んだのは私 
NICUがない病院を選んだのは私 
無痛分娩を選んだのは私
結果、吸引分娩になった

一生悔やんでも悔やみきれない。
あの時あの選択をしなければっていう
タラレバを言っても仕方ないのはわかってる。

でもこの後悔は一生消えないだろうし、
一生自分を許せないだろう。

必死に治療して、2年かけた妊活。
病院も2回転院し、3つ目の病院で顕微授精をして妊娠した。
大望の妊娠。
望みに望んだ息子の存在。

不妊治療のことは勉強しまくったのに、
産院のことは無知であった。

不妊治療のクリニックから紹介状をもらうとき、先生は違う病院を提案してきた。

私は先生の提案とは違う産院を聞いてみた。
医師をしてる親友が出産した病院で、無痛分娩をしていたから。
緊急時の連携病院も近いから大丈夫と思っていた。
(実際には、その病院では受け入れてもらえなかったのです)

クリニックの先生は、私の提案に対して、

「まだ若いからそこまでリスクをとる必要はないからそこで大丈夫」

といってくれた。
でも、何で先生が勧めてくれたところにしなかったんやろ。

不妊治療中から、PCOのため、採血結果から妊娠糖尿病のリスクも注意されていていた。
グリコランも服用していた。

結果的には健診でひっかかったことはないが、その産院への紹介状にそのリスクもクリニックの先生に書いてもらってたのに、糖の検査は尿検査だけであった。

何でもっと周産期医療について調べなかったんやろ。

最後の最後に大切な産院選びを誤った。
その時はそれなりに悩んだけど、
結果的に失敗だったと思っている。

時間が無さすぎた・・・
クリニックからの卒業までに決めないといけないから。
不妊治療中に産院のことなんか、考えたくもないし、考えてもいなかった。

でも、それが重要だったんだって今なら言える。

赤ちゃんの安全を1番に考えて大きな病院にすべきだったのに。

後悔はつきません。

人生に取り返しのつかないことってあるんだなって、身をもって体験しました。

息子に申し訳ないことをした。
結果的に自分の選択が息子を死なせてしまったと思ってしまう。
そう思うと、夫にも夫や私の家族にも申し訳ない。
本当にごめんなさい。

全部、私が決めたから。
責任は私にある。

息子は生きられる赤ちゃんだったのに。
元気に育ってくれて、元気に産まれてきてくれたのに。

トラックにひかれたようなもの。
交通事故より確率は少ないかもしれないが、防げた事故としか思えない。

このブログを見てくださり、
不妊治療中の方、妊娠中の方は、
是非後悔のない選択をしてほしいです。


下矢印息子の祭壇と昨日の夫の誕生日会です。
息子も一緒に参加してほしかったから、寝室でケーキを食べました。
一緒にいてくれたかな・・・




下矢印息子が産まれてから亡くなり、火葬までの日々です。
亡くなっているとわかってても、親子3人で一緒に寝た2日間は最高に幸せでした。
火曜日に泣くなり、木曜日に火葬。
短すぎると泣いて、離れたくないってワガママを言ったけど、人生で1番幸せな時間を過ごせました。