赤薔薇新生児死を経験した後のブログになります。
まだまだ混乱の中での文章となりますので、ご了承いただければありがたいです。

皆様からのアクセス、イイね、コメントがとても励みになり、連日ブログで気持ちを吐き出させいただいています。
ありがとうございます。


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昨日は、息子を亡くして、初めて夫は実家に泊まりにいきました。
昼間から用事ででかけてしまい、夜はそのまま実家へ行ってしまいました。

夫の親族が本日結婚式をあげるため、朝も早いですから、実家に泊まるように私も言いました。
夫の両親も夫が心配だろうから、そっちの方がいいと背中を押しました。

それなのに、こころの中では夫と離れたくなかったのでしょう。
自分でも驚くほど不機嫌な何とも言えない複雑な寂しい気持ちで送り出しました。

小声で「いかんといてほしい」って
聞こえないように呟いていました。

そんな気持ちになる自分にも後に自己嫌悪になりました。

そのため、私も自分の実家に帰ろうかと思っていたのですが、いざ帰ろうと思って土曜日を過ごしていると、

四十九日までは、息子はここにいるのかもしれない

って思うと1人にはできませんでした。
それに、産後、実家に帰る予定でしたから、今は正直、実家ですら帰りたくないと思ってしまいました。

本当やったら、○○だったのに

と思うことが怖くて、そんな気持ちになってしまうであろうことを容易に想像できたからです。

心配した母と弟が夕方から来てくれて、一緒に晩ご飯を食べてくれました。

夫がいなかったからこそ、思いっきり素直な気持ちを話して、涙がかれるほど冷静にしっとりと泣きました。
自然に大粒の涙が溢れるという感覚です。
泣き叫ぶのではなく、冷静に。

過去、不妊治療のブログでも母との意見の相違について書いたことがあるのですが、
基本的に母と私の性格は全く違います。

でも今回のことがあって、
物心ついて初めてって言っていいんじゃないかと思うほど、精神的に甘えているように思います。

物理的にはもちろんのこと、
夫にはなかなか言えない1番のひっかかり、

私が何もかも選択をしてきたこと
あの病院を選んだのも私
大きな病院にすればよかったのに
あの時、○○したのも私
苦労して授かったにも関わらず、なぜ普通の産院で産めるとおもったのか

息子を守れなかったこと
産後しんどすぎて
まともに息子を見られなかったこと
元気な息子にさわれなかったこと

みんな私は悪くないって
誰も責めないけれども
どうしても自分を責めて、
タラレバの渦でもがいています。

その気持ちを正直に母に話すことができました。
夫には小出しに話していましたが、夫は私が私を責めること自体が嫌だと思うので、なかなか話せない気持ちです。

一生、悔やんでも悔やみきれない。
たった11時間ちょっとの命だったけれども大切な大切な世界で1番かわいい息子でした。

お腹にいるときは、自分のことを

「ママ」とか「お母さん」とか

なかなか言えなかったんです。

なぜかわかりませんが、産まれたら母になると思っていたのかもしれません。

でも、たった11時間ちょっとの時間で、私は母として息子に何もできなかった。

元気なうちにさわることも、おっぱいをあげることも、抱くこともなく逝ってしまったから、

本当に母になれたのか

この思いも実はこころの中に持っています。

夫は、11時間でも父になっていました。
亡くなった息子を愛しそうに頭をなで、抱き締め、あんな姿見たことがなかったのです。

彼はしっかりとした父になって、息子のために今日も一生懸命生きている。

私も早く母になって、息子のためにしっかり歩み出さないといけない。

気持ち的には思っているので、身体とこころの回復を待つばかりです。

目標は睡眠薬からの卒業。
眠れない。

毎日、睡眠薬の力で3時間ほどは寝てますが、現実逃避なんでしょう。
本当はずっとずっと寝て、夢で息子に会いたいんです。