黒岩デパート。それは,かつて安芸の町のシンボルとして親しまれた建築物であった。
人は皆,単に「デパート」とか「デパート前」と呼んだものだ。その洋風の意匠は,ここ高知の安芸では珍しく洒落たものであり,まさに名建築といってよい建物であった。まずは懐かしいその姿からご覧いただこう。

上の写真は,この建物が取り壊される直前の平成23年11月に撮影された一枚である。
安芸を離れている私のために,知人が撮影してくれたものだ。写り込んでしまった雨粒が逆にいい味を出している。ほとんど同じ時期に写された西側(センタービルの「居酒屋どん」の前)からの写真も載せておこう。

ところでこの黒岩デパート,いったいいつ頃の建築だったのだろうか?
インターネットで「黒岩デパート」と検索すると2つほどの情報がヒットするが,それらによると昭和5年に建てられたとのこと。昭和5年といえば西暦では1930年。今からだとおよそ100年前の建物だったということになる。
この昭和5年に建築されたという説を支持する証言として,長野瓦の先代社長であった長野国昌(注1)の著書『瓦ひと筋五十年』が貴重である。長野は旧制安芸中学校に在学中していた時から,旧制中学校を卒業した後は上級学校に進むことはせず家業である瓦製造を継ぐと心に決めていた。
そして旧制中学3年生の頃以降は日夜瓦作りに熱中するが,瓦のことだけに没頭した17歳頃のことを振り返って,「黒岩デパート開店の派手な音楽も,私の耳には入らない」(注2)と表現しているのだ。長野の旧制安芸中学校卒業が昭和6年3月であることからすれば(注3),昭和5年の建築であるという話はやはり確かであろう。次回も黒岩デパートの話を続けてみたい。
【注】
1.大正2年1月生まれ(長野国昌(1985)『瓦ひと筋五十年』,218頁)。自社の代表のみならず,安芸市議会議員,安芸市教育委員および教育委員長,安芸商工会議所副会頭,安芸市社会福祉協議会監事など,多数の要職を歴任。
2.長野国昌(1985)『瓦ひと筋五十年』,74-75頁。
3.長野国昌(1985)『瓦ひと筋五十年』,218頁。なお,同書49頁には旧制安芸中学校に入学したのが大正13年とある。卒業は本文中でも述べたとおり昭和6年3月(218頁)であった。この卒業年月については,同じクラスであった宮崎了(大旺建設会長)が寄せた追悼文でもそのように記していることから(199頁)間違いないように思われる。しかしこれらの記録が正しいとすれば,大正13年の入学から昭和6年3月の卒業までというその在学期間は都合7年間となり,旧制中学校の標準修業年限である5年間を上回っている。これをどう解釈すべきか悩むところである。ここでは2つの仮設をあげておく。1つは,間違いなく実際に7年間在学したとする説である。まず,大正2年生まれの長野は大正13年4月の時点で満11歳2ヶ月なので,ここは,彼が小学校6年間を卒業することを待たず,小学校5年を終えた時点で旧制中学校を受験して合格したと考える(これは当時「5修」とよばれた特別な進学の仕方であり,これを成しえることは優秀な少年の証とされていた)。そのうえで在学中に2年間留年したと考えるということだ。もう1つの説は,大正13年の入学という49頁の記述が誤りで正しくは大正14年の入学であったと考える説である。もっともこの推理を採ったとしても在学年数は6年間となるので,1年は留年したと見做さざるを得ない。