しかしこの黒岩デパートの建物は,「黒岩デパート(その1)」でリンクを貼ったサイトでも建設者は不肖となっているし,(その2)で触れた 『
まず興味が湧くのは,こういう建築の仕事を請け負ったのは,いかにも建設会社という感じの企業なのか,それとも大工の棟梁みたいな人だったのかということだ。企業であれば当時の高知で(安芸で?)どこがそれを請け負ったのか,大工の棟梁であればそれはどこの誰だったのか知りたくなる。
次に,こういうデザインをどこで学んできたのかということだ。たしかに昭和の初期であれば,西洋建築の写真やそれらを収めた書籍もあったはずなので,それらを参考にしてデザインしたのだろうと思うが,それにしても,そういう本をどこかから取り寄せたり(中西の靴屋さんの東に数年前まであった,たつみや書店とかで注文したのだろうか?),あるいは実際に東京などの都会に出向いて先例となる建物を見学するなどしたのだろうか。
さらに知りたくなるのは,そうした建築家なり大工さんというのは,建てようとする建築物の外観デザインをスケッチしてしまえば,内部の梁や柱などの構造というか,躯体というかをどう設計すべきなのかが,どこにどんな材木が何本必要なのかとかが,すぐに思い浮かぶものなのだろうかということだ。強度の確認など,力学的な計算はどうやって対処していたのだろうか。う~ん,興味は尽きない。

