江ご川が安芸川の河口に注ぎ込もうとするそのそばに,日ノ出町の市営住宅がある。
いや,今となっては「あった」と書くほうが適切なのかもしれない。その市営住宅は,西側に平屋建ての青い屋根のものが6棟,東側には比較的新しい2階建てコンクリート造りのもの(日ノ出町第2団地)3棟,計9棟から成っていた。いずれも1棟には4戸が入居する造りであった。
当時の広報誌によると,青い屋根のほうは「第二種簡易耐火四戸連棟平屋建」で,1戸分の建坪は32.18平米とのこと。家賃は3千円で,その3ヶ月分相当を敷金として納める仕組みであった(注1)。そもそもこの住宅は,安芸市が簡易生命保険の積立金の還元融資を受けて建設されたものであり(注2),今もこの地の一角にはそれを記念する碑が残っている。
さて,昭和の終わりから平成初期の記憶を手繰ってみると,この市営住宅は常に全ての部屋が埋まっていたと思う。単身では入居できず必ず親族が同居することを条件としていたため(注3),各戸最少でも2名はいたと考えると,このエリア全体で,少なく見積もっても72名以上の住民がいたことになる。
3名を超える世帯も珍しくはなかったので,実際には100名近くがそこに暮らしていたのではないだろうか。子供たちもたくさんいて賑やかだったそこは,立派に一つの「集落」であった。それが,いつの頃からだろうか,人が出て行き始めた。
老朽化に加えて,市営住宅を統合したいという行政側の意向もあったらしい。そして昨年(令和7年),ついに最後の住人がここを去った。その方はおそらく半世紀以上この市営住宅で暮らしてきたと思われる。
具体的に,平成の何年頃から人の流出が始まったのか私には分からない。
ただ思うに,現在の日ノ出町集会所のすぐ東隣にあった一棟が取り壊されたあたりから,この「集落」の衰退が加速したのではないかと想像する。
集会所のすぐ東の棟がまだあった平成26年1月当時のストリートビューがこちらである。
先般,年末年始に帰省した折,この場所をカメラに収めてきた。
もはや人の気配すらないそこを歩くと,確かに一つの時代が終わったという感覚に包まれた。
↑ここを,ゆっくりではあるものの時々車が通っていた。
↑思えばいつの間にか,臭突というものを見かけなくなった。
↑手前の草が生い茂る場所は,かつては住人の駐車スペースとして使われていた。
↑内部はタタミの6畳2間が東西に並び,北側に板の間の台所と汲み取り便所と浴室が付いていた。台所(今風の”キッチン”という感じではなかった)のすぐそばに汲み取り便所があるという配置だった。ガラス戸はアルミサッシではなく木製であり,断熱材など入っていないであろう壁や天井とも相まって,いくら南国土佐の安芸と言えども冬場はさぞ寒かったと思う。
↑風呂は各戸にガスの屋外式があったと思う。
↑数十年前に右側の平屋建にいた家族は,庭にトタンを囲って造った小屋とも言えないような覆いの下で,地面で火を焚いて調理をしていたように記憶する。
↑この家である。草が茂っている所までが庭だが,その辺り全体をトタンなどの廃材で覆って,あたかも離れの空間のようにしてた。もっとも,その天井高は1m50cmもないようなものだった。
↑増築している家も珍しくなかった。
↑おばちゃんや子供たちの声が,今も聞こえてきそうな気がする。
↑この公園にはブランコと砂場があり,子供たちが遊んでいた。この一角には割と最近まで花を植えて世話していた人がいたらしい。
↑この広場は駐車場として使われていた。加えて夏休みにはラジオ体操の会場となっていた。
この石碑の天端を台にして,あの紙のカードに出席スタンプを押していた。「1967 2 竣功」の文字が見える。
↑「日の出町」となっているが,住所表記としては「日ノ出町」が正しい。
↑青屋根の古い棟の建設前。南から北を写している。江ご川を挟んだ奥に見える水田が現在の浄化センター。浜の堤防の上からの撮影か?
出典:『広報あき』第66号(昭和42年11月1日付),2頁。
↑古い青屋根のほうの建設途上の写真。
出典:『広報あき』第69号(昭和43年2月1日付),2頁。
ブロックを積み上げて造ったことが分かる。この建物の南側(この写真でいうと右側)に,小原の製材所(注4)があった。この建物は,上に示した「安芸市公営住宅」の石碑のすぐ東側と思われるが,その平成26年4月時点の状態がグーグルストリートビューで確認できる。側溝にかかるコンクリートの短い橋が,同じ場所であることを物語っている。
↑新しいほう(第2団地)の建設当時の写真。
出典:『広報あき』第215号(昭和55年4月1日付),11頁。
以上,今日は,懐かしい日ノ出町の市営住宅の思い出を語ってみた。
・・・ 「おい,ところで別役の話の続きはどうなっちゅうがなぁ!?」 → ( ゚д゚)ハッ!
【注】
1.『広報あき』第69号(昭和43年2月1日付),1頁。
2.『広報あき』第69号(昭和43年2月1日付),2頁。
3.『広報あき』第69号(昭和43年2月1日付),1頁。
4.クロモジさんからのコメントによると,小原さんは製材所ではなく工務店だったとのこと。
【参考文献】
・『広報あき』第54号(昭和41年10月25日付),2頁。
・『広報あき』第66号(昭和42年11月1日付),2頁。
・『広報あき』第69号(昭和43年2月1日付),1頁,2頁。
・『広報あき』第215号(昭和55年4月1日付),11頁。


















