畑作男のつぶやき

畑作男のつぶやき

畑作男が身辺に起きた日々のできごとを、つれづれに書き綴ります。

1月19日夜、父、畑作男は旅立ちました。

突然のことで家族もまだ気持ちの整理がつきませんが、

長いお別れとなりました。

 

ブログを通じて親しくしてくださった方々、

日々のつぶやきに寄り添ってくださった方々、

本当にありがとうございました。

このブログが父の毎日の大きな一部でありました。

深く深く感謝申し上げます。

 

およね。

(娘)

 

 


杖を突いて
 痛い!痛い!辛い!辛い!
 今朝起きたらば足腰がどうにもならない感覚で、2階の階段から滑り落ちそうになった。何とかバランスを崩さずに、開花まで降りることはできたが、安心したのかグズグズと倒れ込んでしまった。起きることが、立ち上がること出来ない。「百合子さん!」「百合子さん!と呼べど叫べど反応は無い。暫く叫び続けていると幽かに反応らしきモノがあった。立てない。立つことが出来ない。兎に角「およねさん」に緊急事態を知らせることにした。直ぐに駆けつけてくれた。やっとふらつきながらでも立ち上がることが出来た。
 腰が痛い!辛い!杖を探し出してきて、何とか歩行が出来る。こんな状態になってしまった我が身が情けない。

朝焼け
 いよいよ「大寒」間近くなった。1月20日が今年の「大寒」と言われている。最も気温が低くなる、寒くなる頃合いだ。「里山」は盆地なので、早朝に気温は連日氷点下を記録している。早朝と夜間、午前中には暖房器具のフル稼働となる。確かな根拠はないが、暖房費で最安値は灯油だろうということで、我家は石油ストーブが主流となっている。三間続きの部屋にはペレットストーブが設置されている。ここ2・3年は稼働率が下がり、燃焼するのは年末年始を中心とした大人数集合時に使用する。熱量は最も高く温かい。
公園
 一日の中で使用度の高い居間には、以前は大型のファンヒーターを設置していたが、現在は「およねさん」宅に置かれている。聞くと燃費の問題で使用はしていない様だ。寝室にはデロンギのオイルヒーターがあり、以前の早朝散歩の時には使用していたが今は休業状態だ。電気による暖房器具はエアコンだけで、最近の電力料金高騰には、「深夜料金設定」で対応だが、電気の暖房器具は畑家では使用していない。ラオパパとルイちゃんがいなくなり、日常の家族構成が最小の二人となった。加齢とともに寒気を厳しく感じる。
大菩薩峠
 使用頻度の高い部屋は、居間と台所になった。ペレット設置の居間は仕切って二間として使用している。暖房は「およねさん」からプレゼントされたファンヒーターで充分だ。台所は9畳の広さだが、石油ストーブを使用し続けて来た。台所という点から外の寒気・熱気を受けやすい。昨年ごろから速暖のファンヒーターに置き替えるを考えるようになった。部屋の数だけ暑さと寒さの対策の器具が用意されているが、整理をする事が必要になって来た。
剪定前の桃畑  和室の押し入れが嵩張っていた。その原因の結婚以来の客用布団は年末に「ゲリパパ」が運んで処分してくれた。「およねさん」・「ゲリパパ」の記念すべきモノも収納されている。台所にファンヒーターを置けば、今使用中の石油ストーブは何処に収納すれば良いのか。足元が覚束なくなった今は、燃焼芯丸出しの石油ストーブは危険な器具と思える。簡単には解決が出来ないような気がする。基本ハイシニアの身で、残り時間を快適に過ごす、何が良いのかこのことを第一に検討したい。ラオパパもルイちゃんも、快適な場所を塒としていた。

今日も氷点下
 朝から雲一つもない青空が広がっている。寒暖計は氷点下3度を指していてこの時期らしい気温だ。昨日は夕方になって急に西北からの風が吹いてきた。風の通り道になっているのか、夕方の冷え込みに急ぎ室内に篭った。花のムズムズと喉のイガイガとが気になる。呼吸器内科の主治医からは、「風邪は引かないように」と厳命されている。ただ今年の花粉飛散は早い、と鼻が知らせる。玄関脇の紅梅は堅い莟だが、温暖化で花粉が舞い始めているかもしれない。
凍てつく庭
 正月早々の災害、翌日の飛行機事故、先日千歳空港で国際線の飛行機の翼が衝突し折れたたようだ。人命に関わることが連続して発生している。能登地震は数万年をかけて地面が隆起、半島を形成したそうだ。数千年に一度の隆起現象に遭遇したのは、誰もが「明日」は予測できない、ということだろう。倒壊したり傾いた家が道路を遮断している様子をテレビ画面で見る度に、日常の生活を送ってきた人たちの思いは如何ばかりかと思う。耐震対応の建築物でも損害を受けている。我が家などは「耐震基準」の前の建築物だ。
朝の盆地
 必要と思われる部分は以前にリフォームをした。暮れには引き戸の滑り具合や照明器具の点検と対応もした。空調は全室取り付けてあるが、冬季のスポット対応として台所の即暖が加齢とともに必要になってきた。灯油ストーブから、ファンヒーターへの変更を考えているが、今度の災害で停電が困難な環境を生みだしている。手を尽くしたつもりでも、災害は軽々と越えてくる。倒壊してもやり直しは効かない年齢になりつつある。遭遇しないことを祈るばかりだ。
ラオパパ
 羽田の事故は機内に積み込んだペットが犠牲になった。ペットは今や家族の一員だ。家族構成が崩れた畑家では、「思い出」だけだ。昨日の事としては未だに理解できない。amazonプライムのTV画面の待ち受け画面には、欠けた家族の写真が大画面で映し出される。急いで日付をメモして、PCに取り込んであるアルバムを広げる。今朝の気温程度でも公園に行き、白い息を吐きながら帰宅し足洗に取り組んだ。厳しくても懐かしい思い出だ。おそらく今はそのような飼育は出来ないだろう。ラオパパやルイちゃんだけではなく、世話の出来た自分を懐かしんでいるのかも知れない。 

朝焼け
 毎朝7時30分過ぎにスマホの呼び出し音が鳴る。今朝は総合病院の待合室なのでマナーモードにしておいた。顰めた声調で理解したのか、「今日も病院ヶ~」と「およねさん」から体調確認・その他の電話が入った。不思議なものでベルが鳴らないとどうしたのかと心配になる。今朝は「おうおねさん」宅の畠の白菜を所望した。二・三日のうちに届くだろう。四季を通して畠の耕作を趣味としているようで、あらゆる種類がある。落花生も栽培し、先日「ピーナツバター」が届いた。美味しかった。
朝焼け
 病院の待合室でもスマホを手にしていることが多くなった。スマホにする前は、所かまわずスマホ画面に見入る人たちを批判的に見ていた。同じ姿勢で食い入るように何を見ているのか不思議だった。スマホを持った今、時間に余裕が生まれて来た身では、誤った考えだったと理解し前に批判した姿勢でスマホを手にしている。スタート画面には情報のポイントが短文で次々と入る。興味のないモノはどんどんと削除していく。見たい知りたい聞きたいものはタップするが、必ず開ける画面がある。
富士山
 gogglesの情報サイトだ。中でも「里親制度」の画面は必ずタップする。写真を眺めて、「里親」となる条件まで検索をする。条件のところで進まなくなる。「単身者不可・高齢者不可・英語不可」と壁になっている。高齢者は、65歳が上限のようだが納得いかない。ペットを飼育した経験があり、飼育をする時間は十分にある。家を無人状態にすることはまずない。高齢者こそ「里親」に相応しい、と思うが何故だろう。想像だが、「里親」が先に逝く、飼育することが出来なくなり、何度も里親を代えることになるからだろう。
ルイちゃん
 スマホの性能で、タップする回数が多いと情報が掲載されることが多くなる。タップの度に現実の壁にぶち当たり、今回もダメだった、と心が傷付く。条件を緩めて欲しい、と思うのが「高齢者」の壁だ。高齢者社会と言われる中で、その高齢者が疎外されているような気がする。高齢者は、「愛玩物」も持てないのか、と言いたくなる。そこで最近は視点を犬から猫に変えた。意外と壁が低くなっている。高齢者可を見て夢と希望が湧いてきた。猫でも良いかな、と思って探す。 「でも」は猫に失礼だろうか。池の「斑のルイちゃん」は、この厳しい寒気の中で頑張っているだろうか・・・?