http://www.sapporo-ohta.or.jp/www/AB/haiku.a-0.htm 【「俳句」開設に当たって】

【1】「俳句」をプログラムに加える意義:

 俳句は最も身近な文芸であり、紙と鉛筆があればできることから、多くの人が趣味として行なっている。人は俳句によって、日常生活をする中で感じた感動、喜び、悲しみ、切なさ、果かなさ、怒りなど様々な感情を表現することができるう。俳句はプロでない限り、文学的、芸術的なものを目指す必要はなく、最低限5・7・5の形式を守り季語が入っていさえすればよい(季語は場合により不用なこともある)。そうしたルールの中で、自らの感情を書きとめ形として残すこと自体に意義が認められる。俳句には5・7・5という構造と文芸作品という枠組みがあり、それが句を作る者に安全性と保護性を保証し、自由な感情表現を可能とさせているのである。

 感情表現は人間の精神的健康を維持する上で必要なものである。そして作った句を通して他者と感情や体験を共有すれば、孤独感が消失したり、連帯感を覚えたりすることができ、好ましい精神状態が得られる。また過去を想起したり言語を使うことで頭脳の活性化がはかられる、という利点も見逃すことはできない。デイケアにはいま現在、言語における感情表出を意図したプログラムはない。それを補う存在として「俳句」を設定することには意義があると思われる。

 ところで太田病院では内観療法を治療の中軸に据えている。「してもらったこと」「してあげたこと」「迷惑、心配かけたこと」の3問を調べることで、被愛体験や罪責感を経て精神的自立がはかられ、向社会的行動への動機付けがなされる。つまり自分の過去を調べて得たものを、現在の生活の中に生かそうと意図するのが内観療法である。俳句も、自分の過去を調べる、という点では内観と同じである。しかしそこには内観3問のようなテーマはない。自分の過去の中から印象的な出来事や感情体験を自由に見つけて言葉にしていくのが俳句である。ただ句を作ることで過去を再体験し、感動を味わったり、あるいは抑圧していたものを表出したりすることは、内観療法にも認められる体験である。両者にはこのような共通項がある。よって俳句をプログラムとして運営していくことは、内観療法を中心とする当院の治療方針に沿うものであり、自然なことと思われるのである。

【2】「俳句」の位置付け:

 俳句は上のような治療的効果がある以上、ただのレクリエーションとしてではなく、芸術療法のひとつ、俳句療法として行なう。ただプログラム名を「俳句療法」とすると、「療法」という言葉に抵抗を感じる者が出てくるかもしれない。だから名称は「俳句」とする。しかし実質的な内容はあくまでも俳句療法である。参加者は複数いると思われ、よって集団精神療法の形式をとることになる。つまりある1人がつくった句を皆で鑑賞し、感想を述べ合い、交流を図れるような場作りをしなくてはならない。

 

【3】「俳句」の進め方:

☆用意するもの:紙、鉛筆、歳時記のコピー、黒板

☆場所:ケアルームⅢ

☆曜日・時間:木曜日の午後1時から2時まで(予定)

☆兼題の提示:皆が席についたら始まりの挨拶をした後、俳句の兼題を黒板に書く。兼題は3種類用意する。

 1つ「全く自由な題材で作ってもらう」

 2つ「参加者の好きな季語で作ってもらう」

 3つ「秋の暮れ、成人式、のように特定の季語をこちらが与える」

 

 この3種類の兼題を、どのように提示するのが最良なのかは、実際に始めてみないことには分からない。皆に同じ兼題を提示するのか、各個人に3つの中から1つを選んで句作してもらうのか、あるいはその他の方法がいいのか。兼題の提示方法は回を追うごとに最も良いものに定まっていくだろう。いずれにしても、皆が作った句を黒板に書き、進行役が簡単に感想を述べたあと、皆にも感想を言ってもらうというスタイルは保持したい。そうやって交流の場を作るのである。この場合、参加者は自分で作った句の感想を自分で言うことになるが、自分の句をどうとらえているか、ということは当人の心理を考える上で貴重な情報となリ、有益となりうる。

☆注意事項:

① 参加者には、技巧や芸術性にこだわらず、素直に自分の思いを表現してください、と教示する。

② 皆の俳句を黒板に書く時、作者の名前は挙げないこととする。挙げると皆の関心が俳句を離れて作者の個人的事情や内面に向いてしまう恐れがあるからである。

③ 皆の俳句を紹介し終えたら、一人ずつ、自分の俳句を声に出して読んでもらう。それは自らの心が発する声を自らの体を通じて聴く機会となる。ただ、皆の前で読むことに抵抗を覚える者もいるかもしれない。これも「俳句」をはじめないとわからない事柄であり、今のところ決定事項ではない。

④ 感想を述べる際、好意的な言い方をするように指導する。批判、中傷、罵詈雑言を言うような参加者は、どうしてそういう言い方をするのか理由を聞き、再発を防ぐ。

⑤ 「俳句」プログラムを終わらせるときは、「今日はお疲れ様でした」と言って、一斉に終わらせる。途中で帰らせることは禁止する。一斉に終わることで参加者全体の好ましい一体感が得られるからである。

https://mentalhealth-unit.jp/mayuzumi  【思春期 サポーターメッセージ 黛 まどか Madoka Mayuzumi 俳人 】より

思春期に受けた傷は、人生のかけがえのない宝と成り得る…

生きるとは「変化」を受け入れることだと言った哲学者がいる。転職、転居、病、老化、そして死…人生は変化に満ちている。たとえ理不尽であったとしても、私たちはそれらを受け入れながら人生を送らなければならない。折り合いをつけるのに必要なのは、自らの体験を通して得た知恵や、他者からのアドバイスとそれらを深く理解する能力だ。

とりわけ思春期は「変化」に溢れている。病や老化の代わりに心身が急激に成長し、心が過敏になる。この年頃の多くの子どもが、混沌とした心の裡を的確な言葉で表現できないことに苦しむ。私自身もそうだったが女子が男言葉を使うのもその表れの一つだと思う。大人の助言に素直になれないのも思春期の特徴だ。私が通っていた中学ではいじめや喧嘩が日常茶飯事だった。私自身もいじめられる側になったことも、いじめる側になったこともある。不良グループから呼び出された折の恐怖はやがて消えたが、一人の女の子をクラス全員で無視した折の自己嫌悪は"ほろ苦さ"となり、いつまでも消えることはなかった。部活などをやっていなかった私には降り積もる鬱屈を吐き出す術がなかった。そんな時に寄り添ってくれたのは、亡き祖父母が残した言葉だった。生前日常の折々に言っていた何気ない言葉が、温もりと共に私を支えた。格言のような上等なものではないが、厳しい時代を生きる中で身を持って獲得した知恵から滲み出た言葉だったのだろう。

一方であの"ほろ苦さ"こそ心の襞を増やし、後に俳句をはじめとする多くの出会いに導いてくれたと思っている。思春期に受けた傷は、人生のかけがえのない宝と成り得る。しかしそれは傷を癒し昇華させるよう導く受け皿あってのことだ。それは人であっても、スポーツや文芸・芸術などであってもよい。変化する身体や心に言葉が追いつかない思春期を自浄せしむる受け皿に出会うことが大切だ。思春期に煩悶した一人として、それとなく促し良い出会いに導いてあげられる大人でありたいと思っている。そして社会全体で彼等を見守ってゆく仕組みが必要だと思う。

(2013年11月)

Profile

2002年『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞受賞。2010年4月より1年間、文化庁「文化交流使」としてパリを拠点に活動。現在「日本再 発見塾」呼びかけ人代表、京都橘大学客員教授などを務める。近著に、随筆『引き算の美学 もの言わぬ国の文化力』(毎日新聞社)、句集『てっぺんの星』(本阿弥書店)など。無料携帯メルマガを配信中。

https://readyfor.jp/projects/sekaionlinekukai 【俳句を愛し、日本を愛する方々が集う「世界オンライン句会」を開催!】より

京都×俳句プロジェクト

俳句を愛し、日本を愛する方々が集う「世界オンライン句会」を開催!

支援総額 3,231,000円  目標金額 2,000,000円 支援者 227人

プロジェクト本文

【目標達成のお礼とネクストゴールについて】

https://www.youtube.com/watch?v=BKfUcCGsXdM

皆さん、こんにちは。黛まどかです。

俳句は「いのち」の詩です。俳句を通して「いのち」の尊さを見つめ、世界中の人たちと「言葉の力」で共にコロナ禍を乗り越えたい。

そんな思いで、「世界オンライン句会」を開くために、クラウドファンディングを始めました。

お陰さまで4月5日から6日間で、目標を達成することができました。

ご支援くださった皆さま、SNS等で拡散にご協力いただきました皆さま、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

5月30日、京都での「世界オンライン句会」の後、どうしても開催したい場所が、もう一つあります。10年前、原発事故で、全村避難をした「福島県の飯舘村」です。

飯舘村は「までい」という言葉をスローガンに、自立した村づくりをしてきました。

「までい」とは、「丁寧に」「心をこめて」という意味です。

その一つとして行った「俳句募集」で選ばれた250の句碑が村にあります。

飯舘村から「いのち」の大切さを世界に発信し、パンデミックを乗り越える原動力にしたいと願っています。そのためのネクストゴールを決めました。

ネクストゴールは福島県の飯舘村で「世界オンライン句会」を開催するため500万を目標とさせていただきます。

皆さま、最後まで応援をしていただけると幸いです。

引き続きご支援をよろしくお願い致します。

京都×俳句プロジェクト 黛まどか

京都は、昔から多くの詠み人を魅了してきました。そして日本には「歌枕」の旅という伝統があります。

古歌に詠まれた地に足を運んだり、思いを馳せたりして、歌や俳句が詠まれてきました。

「世界オンライン句会」では、京都の四季折々の風景を通して世界の俳句愛好家や日本文化ファンがオンライン上で俳句を詠み合い、俳句で縁をつないでいきます。

コロナ禍の今だからこそ、俳句という小さな窓を通して命を見つめ、17音の器にその命を輝き」を称えませんか?

そして、俳句を通してまだ見ぬ人との「出会い」を叶えていきませんか?

初めまして、俳人の黛まどかと申します。

クラウドファンティングは支援しか経験がなく、自分で主宰をするのは初めてです。

新型コロナが世界中に蔓延し、多くの尊い命が犠牲になっています。

世界中が同時に重大な危機に直面し、一人一人がこれほど「いのち」に向き合ったことは無かったのではないでしょうか?

俳句は花鳥諷詠です。

花・鳥・虫といった小さな「いのちの存在」に光を当て、詠み留める…

「自然の詩」「いのちの詩」といっていいでしょう。

俳句を通して「いのちの尊さ」を見つめ直し、今ここにある「いのち」の輝きを俳句に称え、世界中の俳句愛好家と「オンライン」を通じて出会い、共にこのコロナパンデミックを乗り越えていきたい。

そう思い立って昨秋「京都×俳句プロジェクト」を始めました。

また、このコロナパンデミックが引き起こった背景には、成長経済を優先させた結果の「環境破壊」や「グローバリゼーション」などがあります。

つまり、より豊かさを求めて足し算に邁進してきた「現代社会のツケ」でもあるのです。

しかし、日本は本来「足るを知る」といった知恵を持っています。

俳句に限らず、能、茶道、華道、日本建築、日本庭園、日本料理、和菓子・・・

日本は「引き算」の文化なのです。その日本文化のエッセンスが「京都」にあります。

俳句の歳時記も京都を中心に編まれています。世界中の人が「京都」に憧れる理由がそこにあります。コロナ禍においては「座の文芸」である句会の開催が叶いませんでした。

そこで、日本文化や俳句、京都を愛する人々が集う「場」として、「世界オンライン句会」を開催したいと考えました。

「世界オンライン句会」では、「俳句」という世界一短い文学で「いのちの交歓」をして、世界が一つに繋がり、同時に日本文化の魅力や知恵を世界に発信する機会にしたいと思います。

京都から世界へ、世界から京都へ。俳句がつなぐ「命」の響詠です。ご協力よろしくお願い致します。世界の方々からいただいた応援メッセージの全編映像です。

よろしければご覧くださいませ。