https://ameblo.jp/754403/entry-12395333960.html  より

「1961 夜に昇る太陽」を、見ました。

 

8月2日(木)、駒場にある、こまばアゴラ劇場で、「1961  夜に昇る太陽」を見ました。

谷賢一の作、演出。

「DULL-COLORED POP」の、第18回目の公演。

この「DULL-COLORED POP」は、2005年に、谷賢一らにより旗揚げされた劇団。2016年からの2年間の活動休止期間を経て、活動を再開し、第一作が、この「1961 夜に昇る太陽」です。

これは、「福島三部作」の第一部にあたり、その先行上演。来年、二部、三部を加えての公演があります。

 

チラシの、作者の言葉を、引用します。

「私の母は福島の生まれで、父は原発で働いた技術者だった。私自身も幼少期を福島で過ごし、あの豊かな自然とのどかな町並みが原風景となっている。

原発事故はなぜ起きてしまったのか?震災以降ずっと考えてきた問いに答えを出すべく、2年に渡る取材を経て福島の歴史を執筆・上演する。第一部は1961年、双葉町が原発誘致を決定した年。あの頃、人々は何を夢見ていたのか?当時の夢であり現在の悲劇の発端でもある1961年を『演劇』、つまり人間同士のドラマとして描きたい。」

 

舞台は、2011年の東日本大震災、その結果としての福島第一原発の破壊から始まります。

帰還困難区域となっている双葉町、そこにある実家を訪れた防災服姿の真(井上裕朗)が、段ボールを見つけ出す。

舞台は、一転して、1961年10月17日。

この物語は、その17日から、19日の物語。

常磐線の汽車。

穂積孝(内田倭史)は、東京の大学から、故郷の双葉町に、ある決意を持って、戻る途中。その車内で、「三四郎」の先生のような、「ファウスト」のメフィストのような、佐伯正治(古屋隆太)と出会います。

✳「三四郎」云々は、古屋隆太のインタビューの言葉を引用

 

世の中は、60年安保闘争の余波に揺れている時。大学で、その闘争に参加していた孝は、佐伯から、その拠って立つ基盤を、根底から、揺すられます。

冷戦下、日本は、ソ連の側に組み込まれることは避け、アメリカとの同盟関係を強化し、その軍事的支援を受ける。そのことにより、日本は、軍事費を、戦後の復興の予算に回すことが出来る。などなど。孝の、青っぽい知識では、佐伯に太刀打ち出来ないのです。

佐伯は、連れの女性三上昭子(大内彩加)とともに、孝と同じ駅で下車。

 

孝の弟の真は、久しぶりに帰郷する兄を待ち構えていました。その遊び仲間たち。

真も、遊び仲間も、人形で操られての登場。

そこに現れた母の豊(百花亜希)。彼らを、乱暴に蹴散らします。

人形なので、空を舞ったり、首がとれたり、ボカスカ殴られたり。

その動的エネルギーが、前の場面の、孝と佐伯の、議論の堅苦しさを、一気を吹き飛ばします。

子供たちは、この後も、人形で登場します。役者が、それを動かしているために、場面の変化によっては、その早変わりが、あたふたと。

しかし、それが、観客の笑いを生み、観客をリラックスさせ、新たな展開へと、エネルギーが注入されるのです。

そして、人形であることの、もう一つの意味。それは、ここ双葉町で、このあと、どのようなことが起こるか、彼らには、理解出来ないのです、まだ、この段階では。

 

孝の家に、祖父の正(塚越健一)を訪ねて、町長の田中(大原研二)、県の職員の酒井信夫(東谷英人)、そして、佐伯と三上が来ます。

そこで、初めて、佐伯と三上が、東京電力から派遣された人間であることが分かります。

彼らは、原発の建設のための、用地買収に、来たのです。

 

これまで、何の役にも立たず、ただ同然であった土地が、破格の値段で取引される。

 

そして、21日、双葉町の議会で、原発誘致が、採択されるのです。

国家と東京電力と県と町とが、それぞれの思惑を持ちながら、手を結び、原発誘致への道を、強引に、押し進んで行く。

 

これは、孝を主人公にした物語です。

何もない町。夜が暗い町。

彼は、東京の大学に進学し、科学者としての道を歩みたいと考えています。

穂積の家の長男として生まれ、本来は、その農家としての「家」を継ぐ立場ではあるのですが、ここ双葉町の、農家としての生活に、未来を見ることが出来ない。

孝は、科学の力で、「日本のため」になることをしたいと考えています。

 

しかし、恋人の美弥(丸山夏歩)に、共に、東京に行こうと誘っても、美弥は、故郷を捨てられない。そこには、失恋しかなかった。土地に縛られている者。その縛られている鎖を、無理矢理に、裁ち切ろうとする者。

地方に生まれた者が、さらに、敢えて言うならば、「僻地」に生まれた者が迫られる決断。

 

孝は、「科学」の力を信じ、そこに、輝ける未来を見ていたのです。

それは、孝だけではないのかもしれません。

オリンピックやら、万博やら。

「科学」は、まさに、「夜に昇る太陽」のように、人類の未来にとって、輝いて見えたのです。

 

孝の弟の忠(宮地洸成)だけは、原発の建設に、不安を伝えるのですが。

佐伯の言う、事故の可能性など、百万分の1もないに対して。

 

この第一部に続く、二部、三部は、忠や真の物語となって紡がれていく、ということです。

 

この第一部の終わりは、誘致に関しての報告をする佐伯の場面。

相手は、誰であるかは分かりません。声(榊原毅)だけの、応対。

その声は、やがて、日本が再軍備をし、その際には、原爆を保有する国家となることを

目論んでいると、語ります。

それに、浚巡する佐伯。

広島出身の彼は、被爆し、その兄を、原爆によって亡くしているのです。

 

物語の流れを、あれこれと記して来ました。ネタバレも、多々含まれます。しかし、実際の舞台は、この程度のネタバレでは揺るがない、強靭な物語を持っています。

 

来年、二部、三部を含めての再演があります。

ぜひ。

 

劇場で配布された、作者の「ごあいさつ」、です。

「2011年にボンと建屋が水素爆発してから、何故こんなことになってしまったのか、劇作家に何ができるのかずっと考えていて、遅ればせながら2016年、2年間の取材・執筆期間を設けて本プロジェクトはスタートしました。

本作品はフィクションですが、大部分をファクト(事実)に基づき構成しています。長男・孝は私の父が、次男・忠は故・岩本忠夫元双葉町長がモデルですし、三男・真や『先生』と呼ばれる男・佐伯、酒井、田中などすべて実在のモデルがあり、出来事や発言も記録に基づき劇化しています。

先日、福島はいわき市にて上演し、行政職員・議員・ジャーナリスト・そして観客の皆様などによる『ファクト・チェック』も頂きまして、ようやく東京にて上演します。

本作は三部作の第一部として構成されていますが、独立した演劇作品としてお楽しみ頂けるはずです。1961年という時代が福島にとって、そして東京にとってどういう時代だったのか、2時間の上演という旅の中で共に考えて頂ければ幸いです。」