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ノア(BC3000‐2000)の息子に義人セムがいました。
セムはヘブル語で義の王の意味のメルキゼデクとよばれ、アブラハムに神権を授けています。
アブラハムはユダヤ教、キリスト教、アラブ人やイスラム教徒でも父祖として尊敬されています。
アブラハムに生まれた子らのうち長子相続権(生得権)を継承したのは、正妻サラの子イサクです。
仕え女(女奴隷)のハガルが産んだイシマエルの子孫はアラブ人となります。
イサクの子ヤコブ(相撲の祖)はのちに神から「イスラエル」という新しい名を与えられます。
※ヤコブ(正式名ヤコフ:892)は高等生命体
そしてイスラエルには12人の息子たちが生まれます。
アブラハムの孫でイスラエルと改名したヤコブの12人の息子らの子孫はイスラエルの12部族
あるいはイスラエルの子らとよばれます。※純血ユダヤ人
ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ダンとナフタリ、ガドとアセル、ヨセフとベニヤミンが12部族の名です。
やがて一家はエジプトに移住します。
そこで400年暮らすうちに彼らの子孫は増え広がり、ついに周りのエジプト人とは違う独自の宗教や
文化を持った民族「イスラエル人」に発展します。
奴隷だった彼らは指導者モーセに率いられてエジプトを脱出し、カナンの地に移住しました。
イスラエルの12人の息子たちそれぞれの子孫ごとに、12部族に分かれていました。
レビは神権の務め(祭祀)をなす部族として主から選ばれ全部族の中で特別な務めを果たし、メシヤ(イエス・キリスト)が来られるまでは、ユダの部族に属する者がイスラエルの民を統治することになっていました。
紀元前922年ごろのソロモン王の死後
北イスラエル10部族と南ユダ2部族の王国に分かれます。
南王国はユダ族が中心だったためユダ王国とよばれ、北王国はイスラエルの残りの大半の部族が
いたためイスラエル王国とよばれるようになります。
南北分裂時代がしばらく続いたのち北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされてしまいます。
▼アッシリア捕囚
ユダ王国もバビロンによって滅ぼされてしまいますが、70年後にはペルシャによって解放され、さらにはギリシャ人が彼らを支配するようになりました。
▼バビロン捕囚
このあたりから、彼らのことを「ユダヤ人」とよぶようになります。
『旧約聖書』からユダヤ人にはモンゴロイドも多くいたと分かります。
ヘブル人(イスラエル・ユダヤ人)の多くはセムやヤペテの子孫で多くはセムの子孫でした。
モーセやダビデ、ソロモン、そしてイエス・キリストもセムの子孫だったと記述されています。
一般にユダヤ社会ではヨーロッパ系ユダヤ人「アシュケナジム」とよび中東系ユダヤ人を「セファルディム」とよんでいます。
このアシュケナジムがアシュケナジー系ユダヤ人といい自称ユダヤ人を名乗っている偽ユダヤの欧米人です。
ユダヤ教改宗者の白人
現在のイスラエルは白人系ユダヤ人がほとんどですが紀元前のユダヤ人は現在のように多くが白人ではありません。
現在の中東の主な有色人種やモンゴロイド、モンゴロイドとの混血の人々が多くいたのです。
現代のイスラエルにいるユダヤ人は白人系民族のユダヤ教改宗者です。
すなわち血統的なイスラエル人ではなくユダヤ教徒の白人という意味でのユダヤ人です。
紀元9世紀ごろ多くの白人たちがユダヤ教に改宗してユダヤ人になりました。
白人系民族のユダヤ教改宗者の人々は紀元7世紀ごろに黒海北方に存在した白人国家「ハザール・カガン国」の末裔ということが歴史的に判明しています。
ハザール・カガン国は、紀元7世紀から10世紀にかけて存在したコーカサスからカスピ海北岸の総人口が100万の遊牧国家で、交易活動を通じて繁栄しました。
ハザール・カガン国は、東ローマ帝国とウマイヤ朝と接していました。
東ローマ帝国はキリスト教を国教とし、ウマイヤ朝はイスラム教でした。
両国は宗教的に対立し、その影響はハザール・カガン国にもおよびキリスト教かイスラム教かどちらかの宗教に改宗せよと迫ってきたのです。
これに対して、バザール・カガン国の王家は折衷案として、両方の宗教のルーツともいうべきユダヤ教を国教にすることを選びました。
ユダヤに同化した理由は、キリスト教もイスラム教もユダヤ教を母体にした宗教だからユダヤ教に改宗してしまえば、両国からの宗教的干渉を回避できると計算したためでした。
1つの国がユダヤ教に改宗した例は世界史においてこのバザール・カガン国しかありません。
ハザール・カガン国は、ユダヤ教に国をあげて改宗した白人国家だったのです。
彼らはユダヤ教に改宗しただけでなく自分たちは「血統的にもアブラハムの子孫」であると嘘をつきはじめました。
この紀元8世紀末~9世紀にかけて、全国民がユダヤ教に改宗してしまうという世界史上例を見ないことを成し遂げてしまったハザール・カガン国は、何とか持ちこたえたものの東ヨーロッパのキエフ大公国と新たに台頭してきたモンゴル帝国の攻撃を受け紀元11世紀前後に滅亡します。
このときに発生した多くの難民(改宗ユダヤ教徒ハザール人)は西へと移住し東欧に住み着き現在のヨーロッパ人となったのです。
こうしてハザール人ユダヤ教徒は歴史上消滅しいつしか白人系ユダヤ人が血統的なユダヤ人ではないと指摘することは国際的なタブーになりました。
そこで、この問題に決着をつけるべく遣伝子調査がなされました。
指標となったのはレビ族の中でもアロン直系のコーヘン(祭司)です。
レビ族は男系であり、戒律が厳しいので比較的純粋な遺伝子が保存されていると期待されました。
コーヘン、もしくはコーへンを意味する名前をもったユダヤ人の遺伝子を調べた結果白人系ユダヤ人は48%、これに対して中東系ユダヤ人の58%にコーヘン特有の遺伝子が確認されました。
つまり、民族的な統計に差はないという結論です。
しかし、調査対象がレビ族のコーヘンだけで調査に問題があることが指摘され再調査となりました。
2012年アメリカのエラン・エルハイク博士は遺伝医学の立場から改めてユダヤ人の遺伝子を調査し、その結果を論文として発表しました。
それによると、白人系ユダヤ人の遺伝子は中東系よりもコーカサス地方のジョージア(グルジア)人やアルメニア人、アゼルバイジャン人に近いといいます。
これらの民族はハザール・カガン国の住民と同族です。
イスラエルの国に多くの白人系ユダヤ人がいるのは、紀元2世紀ごろからユダヤ人が離散してヨーロッパに住んでいて混血が進んだことと、紀元9世紀ごろ白人のハザール人がユダヤ教徒になり戦争などの難民は東欧に移住し白人系ユダヤ人としてイスラエルに移住したからです。
もともとモンゴロイドは多くの白人や黒人以外の人種との混血が進んでいましたが旧約聖書の時代以降にイスラエルにモンゴロイドのユダヤ人がほとんどいないのは紀元前721年に10部族がいなくなったこととさらに混血が進んだからです。
黒人のヤペテ系のユダヤ人はアシュケナジー系ユダヤ人の迫害にあいエチオピアに逃れました。
エチオピアのキリスト教こそが原始キリスト教です。
エチオピアの世界遺産 ラリベラの岩窟教会群が原始キリスト教の聖地でバチカンやエルサレムではありません。
ラリベラの岩窟教会群は現代建築では100%造れない驚愕の構造でアシュケナジー偽ユダヤ人(ハザール人)により追いやられた原始キリスト教の人々と高等生命体で創った驚愕の神殿です。
◆「ユダヤ人」を語る ハザール人の問題
ハザール人ユダヤ教徒が広く公に知られるようになったのは、20世紀ユダヤ人ジャーナリストのアーサー・ケストラーが著書『第13支族』(ユダヤ人とは誰か)で発表したことがきっかけでした。
まとめ
東西ヨーロッパの自称ユダヤ人たちの正統な祖先は8世紀に改宗したハザール人たちでありこのことはシオニストたちのイスラエルへの執念を支える一番肝心な柱を損ないかねないため全力をあげて暗い秘密として隠されつづけてきたのである。
世界中の「ユダヤ人」の約90%は血統的に見るとモーゼに率いられてエジプトを出たユダヤの民の末裔ではない。
大部分はユダヤ教に国ごと改宗したタタール系民族で南ロシアに7世紀から10世紀にかけて周辺諸民族を帝国支配下に置いていたハザール王国が起源である。要は現在のユダヤ人の90%はタタール系ハザール人だったということである。
現在のユダヤ人に純血のユダヤ人が少ない理由としては北イスラエルのイスラエル10部族がアッシリア捕囚後にほとんど消えてしまったこととアシュケナジー系ユダヤ人にアフリカに追いやられたからである。
世界を裏で支配している偽ユダヤ人もどきのロスチャイルド家・ロックフェラー家悪の枢軸ブッシュ家・アメリカ政府・イギリス王室・バチカンは自分たちが偽ユダヤであることがバレルことを恐れていた
アシュケナジー系ユダヤ人はハザールの末裔で最低の暗君ジョン王の子孫であること
そして反キリストのニムロデの子孫であることも知られてはならない