高松城
高松城 令和2年3月6日 登城
秀吉の武将生駒親正が、讃岐一国を与えられ
天正16年(1588)、海水を取り込んだ水掘りが、
本丸、二ノ丸、三之丸を巡る海城を造りはじめた。
今治城、中津城と並び三大海城である。
寛永16年(1639)生駒高俊は、生駒騒動により矢島藩に
転封。
寛永19年(1642)水戸初代藩主徳川頼房の子松平頼重が
12万石で入封、城の整備に着手。
天守は三重四階地下一階に改築。
最上階が下の階より張り出した南蛮造(唐造)であった。
明治2年(1869)版籍奉還により廃城。
天守は明治17年(1884)取り崩された。
月見櫓
船の到着を監視するための櫓で着見櫓
とも呼ばれた。
破風や窓の上下に長押型などを設け
装飾性が高い。
屋島