徳島城
徳島城 令和2年3月6日 登城
鎌倉時代より伊予国地頭の河野氏が支配していた。
戦国時代は、群雄割拠の為度々が入れ替わった。
天正0年(1582)土佐の長曾我部元親が侵攻し、阿波は
平定。
天正13年(1585)秀吉の四国征伐に勲功のあった
蜂須賀家政により、吉野川河口の標高62mの渭山に
築城。
大阪夏の陣の戦功で、淡路7万1千石の加増があり
江戸時代を通じて25万7千石の蜂須賀氏の居城であった。
本丸、東二ノ丸、西二ノ丸、西三ノ丸からなる城部分と、
麓のお屋敷からなる、戦国時代を思わせる縄張りであった。
初代の天守は元和年間に取り壊された。
その後の天守は山頂の本丸ではなく、一段下った
東二ノ丸に建てられた。
しかし明治6年(1873)廃城令により取り壊された。
城内を巡る石垣は泡の青石と言われる緑色片岩。
御屋敷に表御殿庭園が造られ現存している。
数寄屋橋
史料館
阿波盆踊り図屏風
雛壇
庭園
太鼓櫓跡