高知城 | 紗羅双樹

高知城

 

 高知城        令和2年3月6日 登城 



南北朝時代、大高坂山に大高坂松王丸の居城があった。

松王丸は南朝につき、興国2年(1341)北朝方の細川禅定

佐伯経定と戦い落城した。


天正15,年(1587)長曾我部元親が、大高山に築城。

慶長6年(1601)関ケ原の戦いで、元親の子森近が西軍に

つき改易された。

代わって山内一豊が掛川より入封、大高坂山に新たに

高知城を築く。


享保12年(1747)の大火で焼失。

その後延享4年(1747)に望楼型天守として再建された。


天守は四重六階で、千鳥破風、唐破風を付けた安土桃山

時代の様式 








      追手門

追手門







空堀を跨ぎ建てられていた為、橋廊下と呼ばれていたが
階上が登城した武士の詰所となっていた為、今の名は詰門







天守はコロナ対策の為閉鎖されていた。
100名城のスタンプは天守の中以外は何処も
置いてないとの事で、遠方から来たのに・・・