会津若松城 | 紗羅双樹

会津若松城

別名鶴ヶ城で知られる会津若松城。


戊辰戦争を戦い抜いた奥州屈指の堅城である。


室町時代からあった、葦名氏の黒川城を天賞17年(1582)

伊達政宗豊臣秀吉 の制止を無視し黒川城を手にした。

しかし、政宗は翌年秀吉に臣従し会津を召し上げられた。


その後、黒川城に入った蒲生氏郷は文禄元年(1592)から

近世城郭にと改修し、城下町の整備を行い、

名前も若松に改めた。

 

伊予松山より加藤嘉明が入封の時代、

空堀を水掘りに変えたり、西や北の出丸の造築、

地震で倒壊した天守を組み替えて、

今日見られる姿にした。


石垣は野面積みをはじめ、名人と言われる加藤氏の

築いたものなど、いろんな技法が残っている。

寛永20年(1643)、

三代将軍徳川家光の弟である保科正之が入封後、

戊辰戦争では一か月の間城は持ちこたえた。

この時の白虎隊の戦いぶりは、剣舞を見るようであったと

言われている。

戊辰戦争でダメージを受け、明治に取り壊された天守は

昭和40年(1965)に再建された。