日本のミケランジェロ・石川雲蝶(1) | 紗羅双樹

日本のミケランジェロ・石川雲蝶(1)


 

平成29年度ダースの会バス旅


  例年は11月に計画をするが、今年は若葉の頃が良いと

  6月となった。

  当初は5月を予定していたが、諸般の事情で間に合わ

    なかった。


  行き先       新潟県魚沼市小出 「永林寺」「西福

                             寺開山堂」

  期 日         平成29年6月21日(水)

  集合場所       所沢駅東口、さいたまりそな銀行横

  集合時間            午前7時45分


  行 程         8;00所沢東口→ 8;30所沢IC→ 上里

                             SA15分 → 10:50堀之内IC→ 11;00

                             永林寺・拝観12:00 → 12:10深雪の里 

                             昼食・買い物 13:10→13:30 西福寺

                            開山堂・拝観14:30→ 小出IC→ 

             上里SA → 17;30所沢東口・解散


   もし天気が悪くても歩くところは少なく、建物の中の見学

     だから延期は無いと計画したがその通りとなった。

  出発時は曇り空であったが、途中の谷川岳SAでは土砂

    降りになって先が案じられた。

  しかし、永林寺に着くころには傘は必要なかった。


石川雲蝶 


   1814年(文化14) 江戸の雑司ヶ谷に生まれる。

  本名 安兵衛

  江戸彫りの一流派である石川流の本流門人で

   20代ですでに彫物師として名を馳せていた。

  30代前半三条の金物商で法華宗総本山、本成寺の

  世話役であった内山又造と出会い、

  「良い酒とノミを生涯与える」との約束で越後に

   入った

  後に内山の世話で三条の酒井家へ婿入りしている。

  ひとたびノミを握ると鬼と化した雲蝶。

  才能は木彫りにとどまらず、石彫りや絵画にも及ぶ

   事から「日本のミケランジェロ」と イタリアのテレビ

   局が撮影に訪れた時、大変感動したらしい。


 



永林寺


 約500年前に創建され、作州津山藩祖松平忠直公、

 越後高田藩松平光長公の位牌を安置する事により

 葵の紋を許された。

 幕末、本堂の老朽化による新築の誓願をしたが、5年

 経っても許可が下りなかった。そこで松平公の位牌堂

 を建てるとの申請に代え許可された

 この寺と雲蝶の関わりは、博打好きの雲蝶とこの寺の

 弁成和尚との掛け勝負で「雲蝶が勝ったらお金を支払い、

 負けたら永林寺の本堂一杯に手間暇惜しまず彫刻をす

  る」という事であった。

 この勝負に雲蝶が負け約束通り永林寺を訪れた。

 しかし、造営の認可に時間がかかった事と、材料が

  揃わなかったことで、弁成和尚の兄弟弟子の大龍和尚

  の西福寺の方が先になった。


 13年の歳月をかけ欄間をはじめとする彫工や絵画など

  100点を手掛けたが欄間の天女の透かし彫りは有名

  である。

  「男の背中は領収書、女の背中は請求書のように彫刻

  せよ」 と弁成和尚に命令された天女。

  親の背中を見て育つのは男ばかりではない。

  天女の透かし彫りは背中が掘られているが、その肉付

  きにより未婚と既婚になっているとか

  細い目、鼻が高く、肌は桜色という当時の美人を掘って

  いるが、

  モデルは雲蝶憧れの魚沼の女性とされている。

  小鳥と戯れる二羽の孔雀、弁成和尚が雲蝶に語り聞か

  せた 物語を欄間や板絵に仕上げた作品等、高炉台を

  支える天邪鬼 のユーモラスな表情、ヒスイの原石に

  彫刻した寝牛や蛙。

  書院障子の月に群雲の建具。鑑賞時間が足りない!