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直実の出家 ー
一の谷合戦が寿永三(1184)年ですが、
『吾妻鏡』や
『大日本史料』などにより、
直実の出家は、 建久三(1192)年
(または二年)説があります。
ところで彼の性格を表す話として、
『吾妻鏡』に、
文治三(1187)年、頼朝が鶴岡八幡宮で
放生会を主催したとき、直実に流鏑馬の
的立役を命じます。
彼はこれを
拒否ったため、
一部領地を没収されたという話
(しかし、
嫡男、直家は鶴岡八幡宮の行事や、奥州征伐、
建久二年の頼朝入洛のおり、先陣随兵二番などけっこう
活躍しています)。
ほかに、建久三(1192)年十一月二十五日の
『吾妻鏡』の記事に、彼の伯父、久下 直光との土地争いで、
御前裁判中、
直実は敗訴になると思いこみ、
裁判を途中放棄し、髻を切って出家したと書いてあります。
『吾妻鏡』は、
多少もって書くところがありますが、
直実出家の理由はそんな彼の性格や人生から「敦盛伝説」が
できたのではないでしょうか?
珍しい八重のドクダミ。



