― ごっつぁんです ―

 

 現在、名古屋場所ですねえ。

 平安時代にも、相撲(節会)がありました。

 全国から、朝廷から遣わされたスカウトによって、

筋肉 力自慢が集められました。

 

 そして、天皇や貴族たちの前で相撲をとったのですが、

現在のような安全な?相撲ではなかったようです。

 

 ところで、相撲のイメージの一つに「ごっつぁんです」がありますが、

だいたい札束 年収はどれぐらいだったでしょう。

 

 相撲人のお父さん 最高格「最手(ほて)」は、朝廷から80町の免田

与えられたそうです。

 

 ところで本 『延喜式』という平安時代の法令集には田地1町当たりの

米の収穫が記載されています。

 これには、田地を「上田・中田・下田・下下田」にランキングがあって、

中田としても、1町稲400束獲れたと記されています。

 

 では400束とは

 1束=穀米1斗(0.1石)として、

  400(束/町)×80(町)=32000(束)=3200(石)

 このうち、半分手に入るとして

  3200(石)÷2=1600(石)

 当時の、お父さん 一般労働者の日給が、米2升ぐらい、年収なら、

  2(升)×365≒730(升)・・・7.3石でした。

 

 では「最手」の年収と比較しましょう。

  1600(石/年)÷7.3(石/年)≒219.1年→ガーン 212年分

 PC ネットでは、現代の横綱さんは、年収は3384万円だが、

何やかんやで1億円だって夢ではないとか

 

 この計算で、お父さん 相撲人(といっても、現代の幕内以上ですが)は、

20町与えられたそうです。

 ↑の計算で換算すると、

  年収:400石

  一般労働者との比較は:54.7年→びっくり 54年+半年以上分

 

 まあ、国家行事の花形で、命がけの競技だったようですから、

これだけもらえたのでしょうが、¥ すごい年収ですね。

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お願い 本日も最後までご覧くださりありがとうございました。

車 車内から撮ったトラ 花屋さんの入り口のニャンコ。