― 渡る世間は金ばかり2 ―
前回、江戸後期(天保年間)、 濱島 清平という下級貴族(官人)が、
2歳の息子を5歳と偽り、それもこの家では8歳が官位叙任の例なのに、
他家の例をあげて申請した話をしました。
結局失敗して、彼は 日記に「 貧乏で賄賂を贈らなかったから、…」と書いたのですが、
これについて、 ブロ友さんたちから官位についていろいろ感想をいただきありがとうございました。
わたしが思い浮かんだのは、ブロ友さん同様、 金の力でしたが、
もう一つ「わが家が貧乏だから…」という嘆息からです。
みなさんも記憶にあるかもしれませんが、磯田 道史先生の
『武士の家計簿』です。
先生の「 下級武士は俸禄が少なかったから、…一家総出で役所に出仕して、
俸禄を2人分・3人分稼いでくることが重要だった」という考察です。
江戸時代になると、貴族たちは位階(正一位とか、従三位とか)や、
律令的官職(○○大臣とか、大納言とか)があっても、
実際朝廷儀式に参加しないと下行(報酬)をもらえませんでした。
わかりやすく言うと、 ○○名誉市民をもらっても、
実質収入は、自分の職業での稼ぎなのと同じです。
貴族たちの実質収入は、
・家禄(土地・蔵米)
・朝廷行事の参加
・家職(和歌・蹴鞠・書道など)
ぐらいでした。
清平が何とか 息子に任官してほしかったのは、
そんな実情があったからではなかったでしょうか?
眠そうな話を、ご覧いただきありがとうございました。
もう少し続きます。