みんなのかまどを始めてもうすぐ2年になります。

 

そこで今回は「なぜボランティアでこんな活動をしているのか」、ルーツをお話ししたいと思います。

 

  



    

きっかけはこどもだった自分から。


 

 

【 自分がこどもの頃こんな風に遊んでもらった記】

 

 

 うちは歳の近い親戚が多く、何かあればみんなでキャンプや温泉、正月、お祭り

など集まってワイワイ遊んできました。


 

 その中心を担っていたのが、祖父と叔父でした。

 

 


 男性は仕事に明け暮れる時代でしたが、それでも子どもたちにとってそんなことは分かるわけもなく、遊んでくれる叔父が大好きでした。

 




 ちょうちょ祖父は私たちが小さな頃、

 豆まきでお菓子をたくさん網かごに入れて撒いてくれたり、

 正月にゲームに勝ったら50円やら5円やらを紐に通したものをくれたり、

 いろいろ遊んでくれる優しいおじいちゃんでした。

 

 ちょうちょ祖父は、私たちが小学生のときに亡くなりましたが、祖父の遊びは叔父が続けてくれていました。

 


 ちょうちょ親戚みんなで集まる時に大人用ゲームや、こども用ゲームを考えてくれて、賞品代は各家庭持ち寄りして順番に商品を選びます。

 そのゲームが楽しくて楽しくて。

 親戚のおじさんたちもノリがいいので、大盛り上がり。

 母親たちはお酒を飲んで横で笑ってると、参加させるような叔父でした。

 

 ちょうちょみんなで盆踊りいくときなど、叔父がこどもたちの顔にペイントします。

 年上の従兄弟は顔全体ミッ◯ーにされたのが嫌すぎて泣き叫ぶも叔父は大笑い。私たちは苦笑い。

 だけど結局従兄弟は涙跡がたくさんついた溶けたミッ◯ーで盆踊りに行くという......。

 

 

 ちょうちょみんなでフェリーに乗った時も船内でかくれんぼをしたり、キャンプできもだめしにつれて行ってくれたり。

 温泉は宴会場を借りて、みんなでゲーム。こどもたちは芸を披露。私は叔父の好きなサザンをかけてモノマネ。みてる側は大爆笑してくれて、それがまた拍車をかけてこどもたちを盛り上げさせる。

 

 笑わせようと真剣にふざけてる。その場でいとことコント作り上げたり。

 まじめにやりなさいともいわれない。


 【子どもの頃の自分】



 そのうち私はこども同士でも企画して遊ぶようになりました。

 ガーベラ10歳の時には同じグループのリーダー?みたいな子と台本作って、出来るだけ多くの子に招待状を出しました。

 みんなとワクワクすることを考えるのが楽しかったからです。親には怒られました。だから止めました。



 ガーベラ12歳で自分でノートに書いた小説(6冊分くらい書いてた)が回し読みされはじめ、気づいたらそれが3クラス先まで回っていました。話したことのない子からこの小説をきっかけに話すようになりました。学校の帰り道は毎回10人くらいに囲まれてその小説の話で盛り上がりました。

 自分の書いた物語に興味を持ってくれたことが嬉しかったのを覚えています。

 それを面白く思わない子がいてダメ出しばかりされて「なんでこの子は私の小説を読みたがるのに、こんなに否定してくるんだろう?」と疑問に思いました。

 


 ガーベラ13歳で趣味が共通の子たちと自分たちのお小遣いを出し合って、企画しあって、本を自費出版し販売しました。

 

 インターネットが発達していない時期だったので、印刷会社数社から見積もりを郵送してもらったり、紙のサンプルを送ってもらったりして届くと昼休みに3人でプチ会議をひらき、あーだこーだ言い合いました。

 表紙はフルカラーにするか1色刷りにするかなど検討しました。

 ストーリーの内容もオムニバスにするか、まったくの短編にするか考えるのが毎回楽しかったですね。

 ページ数によって印刷の値段が変わるので、それに収まるようにプロットを作り、内容を見せあいっこして修正作業をしたりしました。

 販売できるイベント日の日数を逆算してこの日までに終わらせようねと数か月かけて取り組みました。

 絵は下手くそだったけど、同世代の色々な人が買いに来てくれて1日で本は完売しました。

 この頃はもう大人の関与は一切ありませんでした。


 イチョウ今考えると、仲間の子たちが意欲のある子、計画を立てるのが上手な子たちだったのと、お互いに協働できる関係にあったのが上手く調和して成功したのかもしれません。

 

  




 そんな今は亡き叔父が遊んでくれた経験は、私たちに楽しかった日々を思い起こさせてくれます。

 仕事も忙しい中、準備も大変だったろうに毎回集まると笑わせてくれて

 楽しくて楽しくて仕方がなかった。

 感謝という言葉では足りないくらい、ありがたくて嬉しい思い出です。何かあるわけでもないけど、たまに思い出しては和やかな気持ちになれたり。


 夫は真逆の環境でしたが、もともと情のある性格だったこともあり、今ではすっかりこどもたちと遊ぶことに慣れたようです。


 

 食堂を始める前から個人的に感じたことがあります。

 今こども同士の遊びが続かない。

 児童館に行っても、かくれんぼや鬼ごっこが2分も続かない。何やるー?何するー?あきたー、かえろー

 

 大人の自分が介入すると、喜んで何回でも続けようとします。

 

 

 昨今は習い事で土日も潰れたり、たくさんお金がかかったりして家庭にもこどもにも大変な世の中ですよね。

 習い事も必要な経験だと思っています。

 そろばんは休まず通う我が子。

 娘は目的を持ってそろばんに通っていることを最近知りました。6歳でもうそんなこと考えてんの?!という

 だから疲れて仮眠とる私を揺り起こして、「ママ、時間だよ」と行こうとする意思があることにこりゃまたびっくり。

 つい先週まで1ケタの足し算だけだったのに、

「あのね、わたし3桁の足し算興味あるんだけどねー」やらせてみたらできたので、先生にちらっと相談。


 先生はすぐに3桁の足し算へ移行してくれました。柔軟な対応に嬉しく思いました。


 習い事も大事ですが、コミュニティを見返したり、コミュニケーションがとれる隙間があってもいいのではないかな?と個人的に思ったりします。

 

 自分がこどもの頃は

 くだけて笑ったり、ふざけあったり、

 心の余裕がありました。





 

そんなわけで、みんなのかまどやunicoでは「遊びながら学ぶ」を大切にしています。


我が子はみんなのかまどが大好きで、続けてほしいといいます。

たまに自分から案も出してきます。

かまどのみんなでコックさんは娘の案からできました。


年齢を重ねるごとに伝え方が上手になってきて、こちらが驚くほど成長を感じます。






そして私たちは今新たな挑戦をしています。



小さな力ですが、かまどに遊びに来てくれる子、unicoのこどもたちが良い思い出になるように協力していきたいと思います。



人見知りしながらも興味があったり、ポッとでも遊びにくる子、うーんまあやってみよう...かなぁ?な子

いつでも空いてる時に遊びにきてねウインク


表面的には色々ありますが、核のようなものは初志貫徹で変わらないです。


それではまたお会いしましょう♪